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日銀を意識せず暮らせるのが本来の姿、現在は過渡期=植田総裁

ロイター / 2024年3月25日 18時22分

 3月25日、日銀は公式ホームページに植田和男総裁(写真)のインタビュー記事を掲載した。2023年12月、都内の日銀本店で撮影(2024年 ロイター/Issei Kato)

Takahiko Wada

[東京 25日 ロイター] - 日銀は25日、公式ホームページに植田和男総裁のインタビュー記事を掲載した。総裁就任の経緯などを語る一方で、日銀は経済のインフラを担っており、本来なら人々が日銀の存在など意識せずに暮らせるのがあるべき姿だと話した。現在はそうした通常の状態への「過渡期」との認識も示した。

植田総裁は2023年4月に就任したが、総裁就任を要請されたのは「(物価目標が)達成できる可能性が少し出てきたかもしれないという頃」で、「厳しい状況だしチャレンジングな仕事だが、挑戦してみたいと思った」と振り返った。

植田氏は1976年9月にマサチューセッツ工科大学経済学部大学院に入学。当時のエピソードとして、師事したスタンレー・フィッシャー教授の「貨幣の中立性」を巡る説明を挙げた。

貨幣の中立性は、貨幣供給量を増やした分だけ物価も上がるため、実体経済に影響を及ぼさないという理論。フィッシャー教授は「貨幣の中立性が成立するような世界の理論モデルを作るのは簡単だし、理論的にすっきりしたものができる」と述べる一方で、「現実はたぶんそうした世界ではない。現実に焦点を当てた理論を作るのは非常に難しいし、良い理論ともなればもっと難しい」と話したという。植田総裁はこのフィッシャー教授の話が「すごく印象に残っている」と述べた。

植田氏は80年5月に同大学院を卒業後、カナダの名門、ブリティッシュ・コロンビア大学で経済学者としての道を歩み始める。

しかし、米国の経済理論をそのまま日本経済に当てはめるのは無理があると感じており「日本経済の現実を見て、それに合った理論を作るというアプローチが必要だと考えていた」とし、85年に大蔵省(当時)から財政金融研究所・主任研究官に誘われた時は「日本経済の現場を見る良いチャンスだと思った」という。

総裁就任後、特に感じたこととして「物価上昇やその背景についてのコミュニケーションの難しさ」を挙げた。植田総裁の下、日銀は物価上昇の要因を輸入物価上昇を背景とする「第1の力」と、賃金上昇分の転嫁による「第2の力」に分類し、輸入物価上昇による物価押し上げ圧力がはく落しても、賃上げ分のサービス価格への転嫁は緩やかに進んでいくとの見通しを示してきた。

植田総裁はまた、20年以上続いてきた物価上昇率ゼロ%の均衡よりも、物価上昇率2%の方が「企業の価格設定行動など幅広い企業活動に自由度が出てきて、経済の生産性を上げる可能性があるという考え方にも注目している」と述べた。

インタビューの末尾では、日銀が提供しているのは経済のインフラであり、水やエネルギーと同様「注目が集まるときは何か問題が起こっている」と指摘。注目が集まる時間が長く続いているが「本来は日銀の存在など意識せずに暮らせるのがあるべき姿だ」と話した。

植田総裁は、現在をうまく行けば通常状態に移行できる「過渡期」と位置づけた。日銀の存在を意識せずに済む状態に移行すれば、日銀の使命である物価安定にせよ、金融システム安定にせよ「問題の芽が出た時に未然に摘み取り、本当に問題が起きたときにはなるべく小さい範囲で消火作業をする」とし、そうした取り組みの積み重ねで国民の信認を得ていくことが重要だと語った。

インタビューは昨年12月に実施され、情報サービス局の小牧義弘局長が聞き手となった。

(和田崇彦)

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