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「自分の不幸せを家族のせいにしてしまう私」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第29回

ココロニプロロ / 2015年11月25日 11時30分

人は、社会的な人間としての自分の顔を持っていますから、社会的な人間として、倫理にもとることを軽々しく言わないものです。ぽぽさんのお兄様は、社会が手助けすべき人間であり、生きるべき人である。みんなそのことはわかっています。けれど、個人としてはおそらく「ぽぽさんは大変だ」ということのほうが、ずっと大きく、目の前に感想として出てきてしまう。そこを突っ込んで話すのは、自分の倫理観を明らかにしなければならないということでもありますし、考えたことのなかった領域にまで踏み込むことでもあります。ぽぽさんにとっては、ずっと考えずにはいられなかった、逃れられなかったことですが、他の人にとっては「そこまで考えたことはなかった」ことでしょう。

ぽぽさんの苦しみの半分は、ここだと思います。実際にお兄様をどうするか、自分が面倒を見なくてはならないのか、という現実の苦しみは、実は半分で、その苦しさを誰にも理解してもらえない、気持ちの上で、寄り添って話を聞いてくれる人がいない、ということがあとの半分なのではないでしょうか。ぽぽさんの文章のその部分には、とても多くの行数が割かれています。

ぽぽさんご自身も、お母様に対しては「それを相談してくる母親も重く感じるようになってきました」と書かれています。おそらく、ぽぽさんの中で、お友達がぽぽさんの話をなんとなく遠ざける理由は明らかなのでしょう。自分が母親の話を遠ざけるのと同じで、「重いし、関係ない立場で暮らせるならばそうしたい」という気持ちがあるのだ、とわかっているから、苛立つし、見下されているように感じたり、みんなは幸せそうでいいな、と思ったりするのではないでしょうか。

そうすべきではない、という話をしても、ぽぽさんのお気持ちはどうにもならないでしょう。正直な話をします。私は父が今年病気になりました。長引いた場合、治療費が高額になる病気です。最初に考えたことは「治療代をどうするか」「いつ見舞いに行くか」「自宅治療になった場合、自分はどこまでやるべきか」ということでした。飛行機の距離とはいえ、最初に見舞いに行くまで長かったです。もっと早く行こうと思えば行けたはずでした。行かなかったんです。いろいろ、感情的ないざこざがあったこともありますし、シビアな状況だということを正確に把握していなかったということもありますが、言い訳ですよね。自分の心の中から「病気が心配だからすぐ帰省する」という選択肢が浮かんでこなかったんです。

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