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「素直に生きたいのに偽善者としてしか生きられない」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第32回

ココロニプロロ / 2016年2月19日 17時45分

「素直に生きたいのに偽善者としてしか生きられない」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第32回

誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。

(あさか/20代後半/女性)

こんにちわ。私もちょっと愚痴らせていただきます。

今、27歳なのですが、昔から無意識のうちに他人の目を気にしすぎて猫を被って生きてきたような気がします。

1、2年前にそのことに気づき、それからは他人の目は気にせず自分らしく素直に生きたいなと思ってきました。ただ、そう思えば思うほど、自分の素がわからなすぎて、素を演じてる自分がいます。

気づけば相変わらず演じてる自分になっていて、「何故演じてしまうのか?」と考えてみると、とても自分が薄情で冷酷な人間だからでした。

まるっきり素で生きてる人は滅多にいないだろうとは思いますが、割と思ったことをすぐ口に出来るタイプの人だったり、ハッキリと物を言うタイプの人を見ていて思うのは、そういう人ほど愛情深いな、ということです。

私も色んな経験をしたり色んな人と触れ合ってきて情が湧いてくることもありますし、他人の痛みもわかるようになりました。が、それに対して死ぬ気で行動したいなどとは本音では思えないですし、すごく冷静に考えると他人の為に頭と時間と手間は使いたくないと思ってしまいます。

例えば、落し物をしたら一緒に探してあげる、程度の小さなことならやってあげようと素直に思えたりするのですが、極端に言えば病気、事故、など命に関わるような大事なことには正直関与したくない。これは極端な例ですが、他にも色んな場面で自分の冷酷さを感じています。

世の中、キレイな心を持つ人が支持されてるように思います。
そりゃ当たり前でしょうね、と納得せざるを得ないですが、私の心は頑張ってキレイになろうとしてもキレイにならない。

だからと言って素で生きていったところで誰からも認められず苦しくなるので、表面だけでも繋がれてたら私はいいのです。でもたまにそれで苦しくなってストレス発散をして持ち直して、の繰り返しです。

私なりの愛情もあるのに、演じてるものと本当の愛情の境目がわからないし理解されない、誤解されているというのも、たまに嫌気がさします。

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