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「素直に生きたいのに偽善者としてしか生きられない」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第32回

ココロニプロロ / 2016年2月19日 17時45分

素直になれないもう一つの理由として、年齢もあるのかなと思います。例えばもっと若い時にこういうことに気付いていたら、素の自分のまま、自分勝手に生きられたのかもしれません。人を傷つけたり、自分が痛い目を見たり学ぶ機会もあり、心から優しい人間になれたかもしれないと思います。

でも、いい大人が自分勝手にやろうとしても、周りからの目はもちろん気になりますし、実際に色んな人を傷つけて落ち込んだらそれこそ立ち直れなくなりそうで、出来ません。

もちろん万人から受け入れられたいとは思ってないですし、むしろ今でも友達は少ないほうだと思ってますが、その友達すらも失ってしまうのかと思うと、恐怖でしかないです。

幸いにも彼氏は私を理解してくれていますが、彼氏だけじゃなくて色んな人と関わりを持ちたいし、出来ればもう少し愛情を持って接したい。彼氏と出会う前は誰にも言えなかったことなので、それだけでも十分じゃないか、贅沢な悩みだと言い聞かせてますが、しょっちゅう心が折れそうになるので、少し吐き出させていただきました。

自分の本音を見て見ぬ振りして何も考えずに猫を被ってた時のほうが楽だったなあと思います。

(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)

まだ少し寒いですよね。アッサムのミルクティーと、シュークリームをお出ししましょうか。人目を気にしてたら食べられない食べ物ですよ? どうします? ナイフとフォークなんて出さないですからね。がぶっといってください、がぶっと! 

「本当の自分」ってなんなんでしょうね。あさかさんは、自分のガワ(外側)の部分は周りに受け入れられていると感じながらも、本当の自分はそうでないから、疲れるし、誤解ゆえに好かれているから失うのが怖い、と思っておられる状況のようですが、「素の」「本当の」あさかさんって、なんなんでしょうか。

あさかさんは、薄情な人間ほど自分を偽り、愛情深い人間ほどありのままで生きている、という持論をお持ちですが、確かにそれはそうかも、と納得してしまうところがあります。私の周りで、本当に何も偽らずに生きている人を思い出すと、ひとりだけいますが、確かに自分が知る中でいちばん愛情深い人だと思います。相関関係は不明ですが……。

で、自分がどちらかというと、私は愛情薄い人間です。私がそのことに気づいたのは、父方の祖父が亡くなったときです。祖父が死ぬ前に、祖母のことを頼む、と言い残していたのですが、私は祖母が好きではありませんでした。もうどちらも亡くなったので言えることですが、愛されていたけれど、気が合わなかったのです。でも、手紙を書きました。心配しているような手紙を、いやいや書きました。誰に強制されたわけでもないけれど、いやだけど言い残されたことが気になったので書きました。書いてる間、書くこともないし、言いたいこともないし、いやだいやだと思いつつ、「偽善でもやらないよりはマシ」と自分に言い聞かせていました。

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