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「底辺生活から抜け出せない私」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第20回

ココロニプロロ / 2015年3月19日 10時15分

自信というものについて、私も長いこと考え続けていますが、それはやっぱり、自分が認められているとか、愛されているとか実感できる場所で育まれるものではないかと思うんですよね。だから、自然に得られる人は自然に自信があるし、自信がない人に「自信持ちなよ!」と言っても、それじゃダメだというか……。「殺す」なんて、ネットで見知らぬ人に言われるだけでもそこそこダメージあるのに、リアルで知人に言われて、自信を失わないほうがおかしいですよ。それで、なんとかして自分を認めたくて趣味をやって、何がいけないんでしょうか。はっきり言って何も悪くないですし、誰にも迷惑をかけていない。すごくまっとうな方向の努力をされていると思います。

不安や焦り、劣等感というのは、私は世間で思われているほど、悪いものだとは思わないんですよね。もちろん、それらが人の心を苦しめるものだというのは身に沁みてわかっていますが、そこから生まれてくる向上心もあると思うんです。ただ、この劣等感が強いと、自分が劣っているのでは、浮いているのでは、下に見られているのではということばかり気になって、楽しいはずの場所でも楽しめない、ということがよく起こります。ぶぶぶさんがこれまで過ごしてこられた学校生活、社会人生活がこのようなものだったとしたら、それは相当ストレスがあったことでしょう。そして今、趣味の世界でも、同じストレスを感じそうになっているのですよね。

思いきって行動をしてもなかなか何も変わらない、何も掴めない、虚しいから諦めたいけどこのまま終わるのも嫌だ……という気持ちが、よく伝わってきます。「学生時代からの底辺生活はうんざりです」という一言が、ずっしり重いです。

どういう行動をすれば人生が変わるのか、このまま趣味に賭けていいのか、そういうことに答えることはできません。人生でどの選択が正解なのか、誰にもわからないからです。

ただ、上京されるとしたら、「ここで何かを掴まなければ終わってしまう」という切迫した気持ちでは、また人の視線が気になって自分の悪いところばかりが目につき、つらさだけが残ってしまうのでは?と心配しています。どういったものを作られているかわかりませんが、東京には箱単位で場所を貸して個人の制作物を販売するスペースがけっこうあります。繊細なものを作る人もいれば、ダイナミックなものを作る人もいます。「自分にはセンスがないのかも」という気持ちでそうした人の作品の個性を見ても、「わー、こんなにいろんな人がいるんだ! 私は私でいいんだ!」と前向きな気持ちになれるのかなぁ、と思うんですよね。自分だったら、「こんなにいろんな人が自信を持って個性を打ち出しているのに、私は人の顔色ばっかりうかがってて、そもそも、ものを作るのなんて向いてないんだ……」と思ってしまいそうです。何かを掴むとか掴まないとかいう前に、上京自体がつらい思い出になってしまい、考えるのも嫌になりそうです。

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