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「黒夢」の活動休止をきっかけに自衛隊に入隊した著者が「ぼる塾」の田辺さんらと考えた「推しって?」

CREA WEB / 2024年4月2日 11時0分

 VTuber、K-POPなど、幅広いジャンルで“推し活”をしている12人の方に推し活とは何かを問うことで、現状の推し活ブームを読み解く本『推し問答!』を上梓した、ライターの藤谷千明さん。

 藤谷さんと、今や社会現象ともなっている「推し活」について改めて考えます。


オタク女性が市民権を得たのはいつ?


『推し問答!』著者の藤谷千明さん。

――藤谷さん自身はどういった推し活をされてきたんでしょうか?

 振り返ると、中学2年生のときにLUNA SEAや黒夢などのヴィジュアル系バンドにハマったのが最初です。1994〜1995年頃で、当然まだ推し活という言葉がない時期ですね。結局ライターとしての仕事につながったくらいにヴィジュアル系はずっと好きで、あとはわりとその時々で流行っているものにハマってきました。オタク且つミーハーなんです。ドラマ『マジすか学園』にめちゃくちゃハマったり、『HiGH&LOW』シリーズにハマってLDHのライブに行ったり。東海オンエアにハマって愛知県岡崎市に2回くらい聖地巡礼したこともあります。

――アクティブですごいですね。

 いや、でも自分では大したことないと思ってるんですよ。好きなバンドの全国ツアーに全部行くタイプではないですし。オタクじゃない人からは「よく現場に行っている人」と思われるけど、本当に熱狂的な人からすれば「ヌルい」と思われる立ち位置だと思います。中途半端なオタクですね。

――とはいえオタク及び何かのファンを30年近くやってこられた立場だと思います。その目から見て、推し活をする人の存在感が社会的に大きくなったのはいつ頃からだと思いますか?

 2021年に、広瀬アリスさんが出演されたジョージアのCMが個人的に衝撃だったんです。オフィスで働いている広瀬さんが、声優の梅原裕一郎さんと仕事をすることになって喜びのあまり叫ぶというもので。

――ありましたね。話題になりました。

 さかのぼれば、1990年代はお茶の間レベルでの「オタク」のイメージって宅八郎さん(タレント、コラムニスト。「おたく評論家」として活動)だったと思います。あるいは、岡崎京子の『リバーズ・エッジ』で同人マンガを描いていて妹にいじめられるお姉ちゃんのような、オタク女性といえばああいう“女を捨てている”ようなイメージを持っていました。

 2000年代に入ると、しょこたんこと中川翔子さんがブレイクしてオタクのパブリック・イメージは多少向上したと思います。しょこたんのおかげで、何かに夢中になっている人や何かを一生懸命応援している人が「ちょっと変わった人」くらいの立ち位置になっていきました。ただ、それでも市民権を得たというよりはまだ異物感があった。しょこたんも、昔でいう“不思議ちゃん”の延長線上のキャラクターとして捉えられていたように思います。

「昔は、大人になったらオタクは卒業するものだった」

――面白がられている時点で“世間”から見たら異物ではあります。

 一方、2010年代には、女性のエッセイストの方やマンガ家さんが自分や周囲のハマっているものについて語る流れがありました。雨宮まみさんが女子プロレスについて書かれたり、はるな檸檬さんの『zucca zuca』や竹内佐千子さんの『おっかけ!』があったり。あるいはK-POPやEBiDANについて書いていた少年アヤちゃんさんや、2010年代半ばくらいでしょうか、エッセイではなく動画やSNSで“オタクあるある”的なネタでバズる9太郎さんやあくにゃんさんなどもいて、女の人が共感できるような視点からの語りは結構ありました。でもそれらは基本的には「世間からはちょっとズレているかもしれない私たち」という構図だったと思います。CDショップや100円均一コーナーでアイドル応援グッズを売るようになったのもこの時期だと記憶しています。

 2021年になったらコカ・コーラという大企業の地上波CMに、広い意味での“私たち”、つまり推しがいるオタクの女性が出てきた。CMって好感度の世界じゃないですか。好感度がないものはCMに出られないはずで、だからあれを見たときにすごくびっくりしたんですよね。同年に『あさイチ』(NHK)が推し特集をやったり、その前年に『推し、燃ゆ』(宇佐見りん)が芥川賞をとって話題になったり……と、推しがいるオタクの存在がこの時期に市民権を得ていったととらえています。

――そうした動きを見ていて『推し問答!』を書こうと?

 そうですね。2022年あたりから、Twitter(現X)で「推し活」という言葉の解釈をめぐる議論が目につくようになりました。「もともとはちょっと頑張りすぎてしまうオタクが自嘲的に使っていたものでは」という人もいれば、「推し活ハッピー!」みたいな人もいる。あるいは「その程度では“推し活”といえない」といった話が出てきたりもして。当たり前ですけど、正解はないじゃないですか。だからいろんな人に、それぞれの推し・推し活像を聞いてみたいと思ったのが発端です。

 それで2023年1月から連載を始めたんですが、その頃にはいよいよ世の中で「推し活は良いことです」という風潮が強まっていた。「推しを見すぎて目が疲れたらこの目薬」とか「推し活に適した機能を搭載した全録レコーダー!」といった広告類も増えて、消費行動と推し活を直接的につなげる動きも前面化してきていました。これはいよいよブームとして水位が上がりきったな、と連載中に感じていました。


『推し問答!』著者の藤谷千明さん。

――本書の中では何度か「昔は、大人になったらオタクは卒業するものだった」という話が出てきます。藤谷さん自身もお母様から「27歳までにはやめたら?」と言われていたそうですね。

 従姉妹が地元のヴィジュアル系バンドにハマってて、そのバンギャグループの最年長が27歳だったんです。それで「従姉妹の◯◯ちゃんは27歳になったら辞めると言ってるけど、あなたは?」って母に言われて。私自身も「27歳まではやってないだろうなぁ」と思っていたら、今43歳です(笑)。

 本書でジャニオタの女性芸人・松本美香さんが「中学生の頃、女子大生の光GENJIファンに会ったとき『大学生になっても光GENJIを追いかけているんだ』とびっくりした」というエピソードを話してくれているんですが、その気持ちはすごくわかるんです。「いつまでもそんなことやっていないで」という雰囲気が社会にありました。

「全部やらなきゃいけない」という強迫観念

――今やシニア向けメディアでも推し活が特集されるほど、年齢を問わないものになっています。かつてのその空気感は、若い世代にはあまり共有されていないんだろうなと思いました。

 大人になってもオタクをやってもいい、自分の稼ぎをそのために使ってもいい、となっていますよね。選択肢が増えたのは良いことだと思います。

 ただ気になるのが、女性が中心になっている今の推し活ブームでは、「全部やれ」と言われているような感じがすることなんですよ。身なりに気を遣って、仕事も家事もして、人によっては子育てもして……と女性が社会的に「やるべき」とされていることをクリアした上で推し活をしているというか。さきほど言った通り、かつて女性のオタクは“女を捨てている”イメージがあったのに対し、今の推し活は社会と適応しながらやるものとされているように思います。

――たしかに、好きなことをする“権利”を得るためには、ある種の“義務”を果たさなければならないという感覚は自分もあるかもしれません。

「女子大生になったらオタクはやめて恋愛すべき」といった規範は失われて、女性の社会進出もかつてより進んで、オタクを続けるのも恋人をつくるのも自由にすればいいことになったはずだった。にもかかわらず、「全部やらなきゃいけない」という強迫観念めいたものがなんとなくありますよね。最近はメディアで「推し疲れ」という言葉が出るようになっていますが、みんなどこか消耗しているのはそれも理由のひとつなんじゃないかな、という気がしています。


『推し問答!』著者の藤谷千明さん。

――それこそ冒頭で「私は大したことない」とおっしゃっていたように、オタクとして上には上がいることが可視化されているせいで、推し活も「頑張らないといけない」となりがちだと思います。

 SNSでは全部見えてしまうので、極端なものばかり目についてしまうんですよね。それに「頑張り」や「しんどい」は共感されやすいんだと思います。アイドルに対して「頑張ってるから応援したい」と思うように、オタクも一生懸命働いて推し活を頑張っている人が共感される。しかも、お金を使うという行為については誰でも想像ができる。お金を稼ぐ苦労も多くの人が知っています。だから「これだけお金を使った」はわかりやすい。同じように「推し活しんどい」も共感されやすいんでしょうね。

『推し問答!』でお話をうかがった社会学者の橋迫瑞穂さんが、「遊び」という社会学の概念を用いて「何かに熱狂するのは“遊び”=非日常だったはずなのに、『推し』という言葉が日常に溶け込んだことで日常/非日常の線引が曖昧になった」という指摘をされています。ハレとケでいえばハレだったはずの推し活が、ケと結びついて遊びの部分がなくなってしまった。それも息苦しさにつながっているのかもしれないですね。

「推しも結局は他人なんです」

――推し活で苦しくなる場面として、推しやその周囲でスキャンダルがあったり、自分の思想信条と相容れない出来事があったりしたときにどう振る舞うべきか悩んでしまうというのもあると思います。本書に登場する方のお話で、そういうときに参考になると思ったものはありましたか?

 ぼる塾・田辺さんがおっしゃっていた「どうせ好きだし」は最高だなと思います。「いったん距離を置いて、別のところにいけばいいや」というポジティブな諦めですね。それからVtuberオタクの会社員Wさんが言っていた「自分軸」というのも大事な考え方だな、と。要は、推しがどうとかほかのオタクがどうということではなく、「自分がどうしたいか」で決めれば疲れないという話ですね。

 推しって結局、他人なんですよね。「自分が何を言っても言わなくても変わらない」と私は思ってます。だからこそ逆に「自分がすっきりするかどうか」を判断基準にしてどうアクションするか決めたらいい。自分が公式にメールを1通送ったところで何か変わるかといえば変わらないかもしれないけれど、そうしたいならそうすればいいんだと思います。

――「そんな人じゃないと思っていた」と推しに幻滅すること自体、つらくないですか。

 推しが犯罪行為をしていたらそりゃ良くないですけど、「こういう人だと思っていた」は見る側が勝手につくっていたものじゃないですか。私自身は多分、「正しいから好き」と思ったことが1回もないんです。それはもしかしたらロックミュージシャンが好きだということにつながっているのかもしれません。少なくとも1980〜90年代のロックミュージシャンという存在は社会からの逸脱者的な面があったので、何かあっても「そういうこともあるでしょうね」と思ってしまうんです。ただ、そういう考えだと立ち行かなくなる場面も来るだろうなと思っています。それはライターとしてもファンとしても。そればかりは考え続けるしかないかなと。

――そもそも正しいはずがない、正しくないからこそ魅力がある存在だった。

 1995年にBUCK-TICKが出したアルバムの中に、「愛しのロック・スター」という曲があるんです(『Six/Nine』収録)。「人気者はごめんだ 人気者は僕じゃない」「もし僕が何になっても君は微笑う(わらう)」と歌っていて、おそらくファンとのディスコミュニケーションが主題になっているんですね。この曲がずっと頭に残っていて、「ステージの上の人たちのことは私は一生わからない」という思いがあります。曲を聴いている間、ライブを観ている間は心が通じ合っているような気がするけれど、それ以外のときはやっぱり他人なんですよ。でも、だからこそ曲だったりライブだったりの表現が尊いものになるのではないでしょうか?

「黒夢が活動休止するから」って自衛隊に入ったんで

――本書で「推しに自分の人生を仮託しすぎない」という言葉が出てきますが、他人だと認識しておくことはその一線を引くために大切かもしれないですね。

 あ、ただそれでいうと「黒夢が活動休止するから」って自衛隊に入ったんで、そこは矛盾がありますね(笑)。

――どういうことですか?(笑)

 黒夢は1999年に無期限活動停止に入ったんですけど、その前からスポーツ新聞などで「解散か」とニュースになっていたんですね。私は高校3年生で進路に迷っていた時期で、「じゃあライブ行けなくてもいいか」と思って自衛隊に入りました。就職氷河期すぎて就職先が全然なかったというのもあるんですけど。まさか、3カ月後に清春さんが新しいバンド「SADS」を始めて速攻でドラマの主題歌になるとは(『池袋ウエストゲートパーク』主題歌「忘却の空」)。

――諸行無常!

「そっか、無期限活動休止しても新しいバンドするよね〜」って学びを得ました。推しも人間だし、その人生には続きがあるんですよね。

藤谷千明

1981年生まれ。工業高校を卒業後、自衛隊に入隊。その後職を転々とし、フリーランスのライターに。主に趣味と実益を兼ねたサブカルチャー分野で執筆を行なう。著者に『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』など多数。
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文=斎藤 岬
撮影=平松市聖

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