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武庫川女子大学の吉富志津代教授が監修した『ソーシャルビジネスで拓く多文化社会 多言語センターFACIL・24年の挑戦』が出版されました。

Digital PR Platform / 2024年3月28日 8時5分

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武庫川女子大学社会福祉学科の吉富志津代教授が監修した『ソーシャルビジネスで拓く多文化社会 多言語センターFACIL・24年の挑戦』が出版されました。「日本で暮らす多様な国の人たちが生きやすい社会を実現するため、活動を多くの人に知ってほしい」と語る吉富教授に話を聞きました。





 FACILは、外国人が必要とする情報の翻訳や通訳など多様なニーズに多言語でこたえるNPO法人です。吉富教授が中心となって1999年に立ち上げました。現在、74の言語の翻訳・通訳者として1700人が登録し、ニーズに応じて活動しています。

 吉富教授は大学でスペイン語を学んだ後、神戸市のボリビア領事館で勤務。そこで日本に出稼ぎに来たブラジル人やペルー人から多数の困りごとが持ち込まれました。困りごとの筆頭はやはり「ことば」。日本社会のルール、企業とのやり取りなど「コトバ」が壁になり、孤立する外国人たちが、吉富教授にすがるように相談を寄せてきました。


 「行政に提出する書類一つにも言葉が壁になる。プロの翻訳者に頼む費用がない外国人は途方に暮れていました」と吉富教授。当時の日本社会では見えにくかった在留外国人の姿が顕在化したのが、阪神淡路大震災。多くの外国人が被災し、情報から取り残されました。「こんなにたくさんの外国人が地域にいたことに改めて気づかされた」と吉富教授は振り返ります。まずは命にかかわる情報を韓国語やベトナム語、スペイン語、タガログ語など、多様な言語で1人1人に届けるため、コミュニティFM「FMわいわい」を設立。そこでつながった多様な国の人たちを通訳・翻訳者として「支える側」に巻き込んで、「多文化センターFACIL」が生まれました。

 ボランティアは無償という考えが根強かったころ。FACILも当初は任意団体でしたが、「割安でも対価を設定することで、息の長い活動ができる」と、2006年にNPO法人に移行。これにより多くの雇用が生まれ、「コミュニティビジネス」の先駆けとなりました。


 同書では、FACIL設立から今日までの経緯を日本社会の状況やNPOの広がりと重ねてつづり、事務や翻訳・通訳者、コーディネーターなどとして運営を支えた人たちのコラムやインタビューが多数掲載されています。

 「プロの通訳者なら専門領域に特化できるけれど、私たちのもとにはあらゆる分野の相談が持ち込まれる」と吉富教授。本からはそうした無理難題と格闘しながらつながりの輪を広げてきた人々の率直な声が聞こえてきます。

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