沖縄国際映画祭、16回で幕 なぜ沖縄の人々の心をつかんだのか振り返る
映画.com / 2024年4月23日 16時0分
第10回開催時の阿部寛 撮影:大塚史貴
「ラフ&ピース(笑いと平和)」を旗印に2009年から16回にわたって行われてきた「沖縄国際映画祭」(2015年からは「島ぜんぶでおーきな祭」との名称を付して開催)は、実行委員会の中核を担っていた吉本興業が今年を最後に離脱を表明。それにともない映画祭実行委員会も解散となることから、今年の4月20、21日に行われた「第16回島ぜんぶでおーきな祭」が最後となる。
“笑い”をテーマに、映画のみならず、音楽、お笑い、ダンス、スポーツなど沖縄全域を網羅して行われる異色の映画祭は、春の風物詩として確かに沖縄に深く根付いていた。特に宜野湾コンベンションセンターをメイン会場としていた初期には10日間にわたり開催されていた時期もあり、最多で45万人近い観客を動員。以前、沖縄国際映画祭を取材していた外国人記者が「世界でも、子どもたちがこんなにも笑っている映画祭を観たことがない」と語るほどに、笑顔にあふれた映画祭だった。だがコロナ禍以降は週末2日間だけの開催となり、徐々に規模が縮小傾向にあったため、今回の離脱表明で決定的なものとなった。
やはり“吉本が手掛ける映画祭”というイメージが先行していたせいか、当初は批判的なコメントもあったようだ。映画祭の顔として尽力してきたガレッジセールのゴリは、「最初は吉本が映画祭をやると言っても、沖縄県民でさえ相手にしてくれなかった。でも3年、4年、10年と継続していく中で、地元の人から『そろそろ映画祭の時期だね』と言ってもらえるようになった。こういう映画祭を16年も続けることができて、ありがとうという気持ちです」と振り返る。
だが、この映画祭がなぜ沖縄の人々の心をつかんだのか。沖縄での盛り上がりとは裏腹に、その実体は県外の人々にはなかなか知られていない。しかし15年以上も映画祭が続くというのは容易なことではない。そこで今回は“最後の沖縄国際映画祭”を通じて、沖縄で何が行われていたのか振り返ってみたい。
■首里劇場などから沖縄の歴史を感じる
映画祭前夜となる19日には、クラフトビール醸造所「浮島ブルーイング」のタップルームで「首里劇場特集」と題したプレイベントを実施。平良竜次監督の「首里劇場ノスタルヂア」「焼け跡のバレエ発表会」、そして「ドキュメント九州」で放送された沖縄テレビ放送の小林美沙希アナウンサーが手掛けた番組「首里劇場 沖縄に残る奇跡の映画館」の3本を上映。解体前までは“沖縄で現存する最古の映画館”と呼ばれていた首里劇場に対する注目度は高く、この日も会場には数十人の立ち見が出るほどの大盛況となった。
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