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アニメーション監督になるためには? 世界各国の監督たちがそれぞれのルーツ語る

映画.com / 2024年11月4日 21時30分

 続いて韓国のアン・ジェフン監督は「わたしは幼い頃は田舎で過ごしていたので、自然などに囲まれて暮らしていました。だから映画や音楽に惹かれるようになったのは大人になってからなんです。そこで出会ったアニメの中には、物語や詩や音楽など全部があったので、そこに可能性を感じました。それにわたし自身、机に座って何かをつくるのが好きだったので、アニメーションをつくりたいと思いました」。

 さらにドミニカ共和国でビデオ、アニメーション、絵画の分野で活動するトーマス監督は「わたしが若い頃はアニメーターになるかどうかは決めていませんでした。むしろ実写の長編映画の監督をしたかったんです。私の国ではアニメーションの業界がありません。高校を卒業してもアニメーションの学校はなかったんです。映画の学校だってなかった。でも何かクリエイティブなことはやりたかったんで、美大に行くことにしました。そこでショートフィルムをつくったりもしたんですが、その要素とアートをミックスして映画をつくるようになりました」とその経緯を説明。さらに「わたしはとてもシャイで、役者に連絡をとったり、友人のツテを使ってネットワークをつくったりすることが苦手だったので、コンピューターで絵を描く方が向いていたんです。もともと実写の監督になりたかったわけですが、そこにアニメーションの要素を入れていくうちに、次第にすべてをアニメーションでつくるようになった、という経緯です」と付け加えた。

 そして吉浦監督は「昔から物語をつくるのが大好きで、それこそ小学生の頃は夏休みの自由課題で勝手に小説を書いて。それを発表していたりしていましたが、その後は演劇に傾倒して、役者を目指していたこともありました。そうやってあちこちふらふらしていたんですが、ちょうど自分が大学に入学した1999年ごろにデジタルツールが発達して。個人単位でアニメがつくれるようになってきて。それで大学時代は、いわゆるインディーズでの自主制作スタイルで、ただ好きだからということだけでアニメをつくっていたんですけど、ちょうどインディーズのアニメをつくることでプロへの道筋ができている頃だったので。アニメーションをつくり続けた延長でここまで来たという感じです」と説明した。

 さらに映画をつくる過程で長編となってきたことについて「最後につくった個人制作の映画は25分だったんですが、ひとりではしんどいなと思うようになった。それで少しずつスタッフを増やして、既存の商業アニメーションのスタイルに近づいてきたわけですが、ただ一般的なスタイルとは違って。基本的には自分で全部つくるというスタイルに、ちょっとずつスタッフをふやしていったので。半インディーズという形ではあります」と語った。

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