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「CHANEL and Cinema TOKYO LIGHTS」役所広司が若手クリエイターたちに語った、俳優として大切なこと

映画.com / 2024年12月30日 15時0分

 さらに中学時代になると、自分が映っている姿をはじめて見ることになった。「お金持ちの子が8ミリのカメラを持ってたんで。海水浴に行った時に、彼が僕たちのことを撮ってくれたんです。それで映写会に行ったんですが、その時にはじめて動いた自分を見たんですね。ちょうど『キツツキと雨』という映画があって。その時は、林業をやっているおじさんがエキストラをやらされて。はじめて自分の姿を映画で観るというシーンがあったんですが、その時のことを思い出しましたね」。

 「ウルトラセブン」「傷だらけの天使」など数多くの作品を手がけたや脚本家の市川森一氏は、役所の兄の友人だったという。「市川さんは近所だったんで、うちによく遊びに来ていた。ただうちは家族が商売を手伝わないといけないのに、市川さんがしょっちゅう遊びに来るんで、兄貴が手伝いができなくなるといって親父は嫌がっていたみたい」と笑いながら振り返った役所は、「でも市川森一さんは、その頃はもう『怪獣ブースカ』でデビューされていて。その頃、うちの近所では市川森一が脚本家としてデビューしたぞと話題になっていたんです」と明かす。

 そんな市川氏とは後日、「親戚たち」という1985年放送のドラマでタッグを組むことになる。「ちょうど僕がNHKで『宮本武蔵』をやっている時に市川さんが見学に来られたんですが、ちょうどその時は千年杉に吊るされていて。ロープでグルグル巻きにされていたシーンだったから、ごあいさつもできなかった。でも話がしたいというんで、NHKの近くにあった市川さんの仕事部屋に行くと、長崎諫早のドラマを一緒にやらないかと言っていただいて。それは喜んでという気持ちでしたし、ずっと時代劇をやってきて。現代劇で大きな役というのははじめてだったんで喜んでやらせていただきました」。ちなみに伊丹十三氏もそのドラマを観ていたとのことで、そこから「タンポポ」という映画で役所にオファーすることにつながったのだとか。

 そして話は仲代達矢が主宰する私塾・無名塾の話に。「無名塾はキャリアのない人ばかりだったので。僕たちが教わったのは、ここを三歩歩いて、そのセリフを言いなさい。ここを三歩歩いて、息を吸ってセリフを言いなさいといった感じで。ちょうど小津安二郎さんが笠智衆さんに指導したようなことでした。だからけっこうみんなロボットみたいになっちゃうんですが、あとは自分でそれをどうやってお芝居にしていくのか。そこに気持ちをいれて、お芝居にしていくというのは自分でやらなければいけない、という感じでした」と説明する役所。

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