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「トワイライト・ウォリアーズ」谷垣健治流アクションの組み立て方 目指したのは「速いけれど“わかる”もの」【アジア映画コラム】

映画.com / 2025年1月24日 9時0分

――企画はいつ頃スタートしましたか?

 ずっと前から動いていたらしいですが、僕が具体的に聞いたのは、2021年の春ぐらいかな。その後、その年の6月に連絡が来て、広州で8月スタート予定だったと思います。ただ、その時の広州はコロナが感染爆発してた関係で、結局撮影ができませんでした。僕は夏に雲南省のシーサンパンナで仕事があって、そこから直接香港に行き、日本や中国のスタントマンたちが合流し、9月末から役者のトレーニングやリハーサル、11月末に正式に撮影がスタートしました。

――本作のセットの準備はかなり大変だったそうですね。当初は大陸でセットを作る予定だったそうですが、その後、コロナの影響で、やむを得ず香港でセットを作り直したそうですね。

 確かに大変でした。スタジオ内や駐車場にまで延長してセットを作ったり、小学校の跡地を改造したりして、やりくりしました。その小学校は今回の撮影にとって、かなり重要な場所になりました。めちゃくちゃ郊外にありますし、“お化けスポット”としても有名な場所なんですが、幸い遭遇することもなく(笑)自由に使わせていただきました。

――話は少し戻りますが、谷垣さんが香港に行かれたのは1993年。九龍城砦が解体されたのも同年です。それ以前にも香港に何度か行っていらっしゃると思いますが、九龍城砦には行ったことがありましたか?

 最初に香港に行ったのは1989年のことですが、その時に前を通りかかりました。めちゃくちゃ怖そうな所だなと思いました。異様な存在感でしたね。

――本作の最も重要なポイントは九龍城砦です。ほかのスタッフとどのような“作戦会議”を行いましたか?

 毎日スタジオでアクション練習をしつつ、美術や演出部と一緒にロケハンに行き、監督のイメージを共有しました。九龍城砦は非常に広い場所ですが、その場所がまるまる再現されるわけではないですからね。図面を見てそれと同じサイズのスペースをスタジオに作ってアクションを設計し、それを実際にロケ地でリハーサルして美術部と調整を行い、装飾物をどこに配置して何を破壊するなどのやり取りをします。

 マック・コッキョンをはじめ、今回の美術チームは本当に優秀でした。彼は「孫文の義士団」でも上海のスタジオに1900年初頭の香港の街を作ったりしました。街づくりのプロですね(笑)。アクション映画にも慣れているので、一緒にやるのはとても楽しい作業でした。

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