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「あのときもっと素直になれたら」かんしゃくを起こし暴れる認知症の父を世話する40代男性の後悔

Finasee / 2025年1月10日 19時0分

「あのときもっと素直になれたら」かんしゃくを起こし暴れる認知症の父を世話する40代男性の後悔

Finasee(フィナシー)

悟が午前中の仕事を終えてオフィスを後にすると、姉の真理からのメッセージが届いている。

「今、ご飯食べてお昼寝中。夕飯の支度もしてあるから今日は買い物いらないよ」

業務連絡のような簡潔な内容だ。悟は「了解」と短く返信した。

約1年前、70代の父・雄平が認知症と診断されたとき、悟はその言葉の意味をすぐには受け止められなかった。

真理からたびたび父の不調は聞いていたが、ただの物忘れだろうと軽く考えていたのだ。母はすでに他界しているため、現在は同じ市内に住む姉と交代で介護を請け負っている。しかし真理は所帯持ちで、悟は社宅暮らしなので、必然的に通い介護になる。夜はヘルパーを頼むこともあるが、悟が泊まり込んで世話をすることも多い。

この日も会社を出たその足で実家に向かうことになっていた。もう慣れたとはいえ、仕事をしながらの介護は体力的にも精神的にもきつかった。

電車を乗り継いで向かった実家の玄関のドアを開けると、朝から父を見ていた真理がバタバタと出迎えた。

「お疲れさま、ちょうど良かった。父さん、さっき起きたところなの」

声色こそ明るいが、真理の顔には隠しきれない疲れがにじんでいる。

40代で未だ独身の悟と違い、真理には夫と高校生の息子がいる。いくら子育てがひと段落したからと言って、自分の家の家事と父の介護を両立させることは簡単ではないのだろう。

「わかった。今日はそんなにひどくない?」

「まあ、普通かな。でも、いつも夕方になると荒れるから気を付けて」

真理は午後から高校の三者面談があると言って、早々に父の家を出て行った。

彼女とバトンタッチした悟が廊下を進み、居間を覗き込むと、窓際の椅子に座る父の姿があった。

「父さん、ただいま」

声をかけると父はぼんやりとこちらを見た。

「おお、悟、帰ってきたのか。何年ぶりだ?」

何年ぶりどころか、つい今朝も会ったばかりだ。悟は苦笑いしながら、心の中でため息をついた。

「父さんみたいには絶対ならない」

高校2年生の夏、悟は父と大喧嘩をした。

対立のきっかけは進路について。どこの家でもよくあるような言い争いだと、今は思う。

「悟、大学ぐらい行け! 学歴がなきゃ、これからの世の中渡っていけないぞ!」

このころの悟は働いて金を稼ぐようになれば、自由になれると思っていた。一刻でも早く自由になりたかった。だから高校を卒業したら、そのまま地元の企業に就職するつもりだった。しかし父は頑として反対してきた。

「なんで俺のときだけ反対するんだ! もう放っておいてくれよ! いつもいつもうっせえんだよ、父さんは」

「なんだ、その口の利き方は!? 大学に行ける頭があるんだから行けばいいだろうが!」

父が姉に甘いのは、幼少期からずっとだ。あるいは悟にだけはやたらと厳しかった。風邪で小学校を休みがちだった悟は、半ば強引に近所の空手教室に通わされたし、中学のとき吹奏楽部に入りたいと相談したが受け入れられなかった。

姉が就職するときには黙って見守っていたくせに。悟の不満はとうとう爆発した。

「あんたに関係ないだろ」

「大学くらい行っておけ。お前のためを思って言ってるんだ」

「自分が行ってないから? 安心してよ。大学に行っても行かなくても、俺は父さんみたいには絶対ならないし、安い給料で人にこき使われたりなんてしねえから」

次の瞬間、痛みと衝撃が悟の頬を貫いた。床に崩れ落ちてから叩かれたのだと気づいた。同時に、言ってはいけないことを言ったことも理解した。だが父はそれ以上何も言わず、その場を去っていった。

この喧嘩を境に、悟は父と距離を置くようになった。

和解せず20年以上がたち

工場勤務の父が必死で家族を支えてきたことも、学歴にコンプレックスがある彼が子どもには自分と同じ苦労はしてほしくないと思っていることも、頭では理解していた。それでも、「親の言う通りに生きるのが正しいのか?」という反発心が、当時の悟の全てを支配していたのだ。

結局父と和解することができないまま高校を卒業し、悟は実家を出て地元の小さな企業に就職した。

同じ市内にある家には滅多に帰らなかった。連絡もほとんど取らず、年に1度の正月さえ帰省することは稀だった。

そんな生活を20年以上続けたのは、もうどうしようもなかったからだと思う。今さら謝ることなんてできるはずもなく、全て水に流したふりをして顔を合わせるのも居心地が悪い。だが胸のうちにある後悔はぬぐえなかった。

「父さん、認知症かもしれないって」  

だから姉から突然かかってきた電話でそう言われたとき、悟の胸には突き刺さる痛みがあった。それが罪悪感だと気づくまでに時間はかからなかった。

姉に説得され、久しぶりに実家に戻ったとき、悟は父の変わり果てた姿を目の当たりにした。かつて厳格で背筋の伸びた男だった父が、まるで影のように小さくなっていた。  

「悟も、ちょっとは父さんのこと手伝ってよ」

姉にそう言われて、断る理由はなかった。どこかで「子としての義務感」を強く感じていたからだ。いや、それ以上に「償い」という感情が根底にあったのかもしれない。

以来、悟は姉と交代で父の世話をする生活を送るようになった。

姉は介護施設に入れることも検討していたそうだが、その場合入居一時金として40万円、さらに月々20万近くの費用がかかることが判明して断念したらしい。在宅介護でも月々8万円ほどの費用がかかるが、それでも介護付き有料老人ホームのことを思えば安いものだった。

とはいえ、仕事と介護の両立は想像以上に厳しい。昼間は会社で次々と降りかかるトラブルを処理し、夜には父の世話に追われる日々。姉の都合が合わないときは、会社の介護休暇を使って昼間から父の家に向かうこともあった。睡眠時間は削られ、心身に疲労が溜まっていった。それでも悟が弱音を吐くことなく介護に勤しんだのは、やはり償いの心としか言いようがないのだろう。

実家で父と2人で過ごす時間は、静かだった。父はかんしゃくを起こすとき以外、ほとんど言葉を発さず、何かを思い出そうとするかのように窓の外を見つめている。  そんな父の姿を見ながら、悟は時折、「あのとき、もっと素直になれたら」と考えることがある。しかし、過去に戻ることはできない。

「……限界かもしれない」

「父さん、そろそろ風呂に入るよ」

夕飯の片付けを終えた悟は、居間でぼんやりテレビを眺める父に声をかけた。
父はちらりとこちらを振り返ったが、すぐに視線をテレビに戻した。

「嫌だ、入らない」

「入らないって……今日は散歩に行ったから汗もかいてるだろう? 風呂でスッキリしよう。ほら父さん、立って。テレビはあとで見れるから。な?」

悟は内心ため息をつきながらも、穏やかに声をかけた。父が入浴を嫌がるのは珍しいことではない。

「風呂には入らん」

「なんで入りたくないんだ? 湯船に浸かって温まると気持ちいいよ」

普段なら、このあたりで折れて風呂場に向かう父だったが、その日は違った。
「嫌なものは嫌だ。俺は入らん」

ぶっきらぼうに言い捨てる父に、思わず眉間にしわが寄るのが分かった。

「じゃあ、上は脱がなくていいからさ、下だけでもシャワーで流そう。かぶれるのは嫌だろ?」 

そう言って立ち上がり、父の肩を軽く叩いた。だが、父は振り返りもせず、黙ったまま。どうやら無視を決め込むつもりらしい。

「おい、聞いてんのかよ」

少し強い口調になるが、それでも父はかたくなだった。リモコンを握りしめたまま、動こうとしない。それでも悟は冷静さを保とうと、ゆっくりと息を吸った。

「あのな、父さん……」

すると、次の瞬間、父の口から全く予期しない言葉が飛び出してきた。

「そうだ、凧あげがしたい! 凧を作ってくれ! 河原で凧をあげよう!」

「……は? 凧あげ?」  

父はリモコンを投げ捨てると、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。これが幼児返りというやつだろうか。まるで子供のように駄々をこね始める姿に、さすがの悟も穏やかではいられなかった。  

「父さん、ふざけるのも大概にしてくれよ!」

「俺は河原へ行く! 凧をあげるまで絶対に風呂なんか入らん!」

ついにかんしゃくを起こした父が暴れだし、台所の方へ向かって歩き出した。
その様子を見た悟は思わず追いかけた。

「ちょっと待てって! どこに行くんだ!」  

腕を掴もうとした瞬間、それを振り払おうとした父の拳が悟の頬に直撃した。鈍い痛みが走り、次の瞬間、それを引き金にするように堪えきれなくなった感情が爆発した。  

「もういい加減にしろよ!」

父の肩を強く掴み、怒りをぶつけるように言い放った。

「仕事と介護を両立するのに俺がどれだけ苦労してるか分かってるのか! 姉さんだって、毎日必死なんだぞ! お前のために俺たちは……!」

言葉を吐き出す途中で、悟は自分の声の大きさに気づき、口をつぐんだ。

父は目を見開いたまま、その場に立ち尽くしていた。その瞳はがらんどうで上手く感情を読み取れない。しばらく沈黙が続いたあと、悟は深く息を吸った。

「今日は……もう寝てくれ……風呂には……明日入ろう」  

父は反論することもなく、ややうなだれて寝室に向かっていった。その背中を見送る悟の胸中には、怒りと後悔が入り混じっていた。

独り取り残された部屋のなかで深い溜息を吐いて、台所へ向かった。蛇口をひねって冷たい水で顔を洗った。頬の痛みがまだ残っているが、それよりも胸の苦しさが大きかった。  

「……限界かもしれない」

ポツリと呟いたその声が、自分自身を追い詰めるようだった。仕事、父、そして自分。何もかもが絡まり合い、光の届かない深い穴のなかへ落ちていくような気がした。

●そして父はある日徘徊の末、失踪してしまう。追いつめられる悟達。いったい父はどこに行ってしまったのか。後編【「河原で凧あげしよう」認知症が進み、息子の顔を忘れ徘徊するようになっても父が覚えていた、息子との思い出】で詳しく紹介します。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

梅田 衛基/ライター/編集者

株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。

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