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「河原で凧あげしよう」認知症が進み、息子の顔を忘れ徘徊するようになっても父が覚えていた、息子との思い出

Finasee / 2025年1月10日 19時0分

「河原で凧あげしよう」認知症が進み、息子の顔を忘れ徘徊するようになっても父が覚えていた、息子との思い出

Finasee(フィナシー)

<前編のあらすじ>

40代独身の悟は、1年前に認知症と診断を受けた父・雄平のいる実家に通い、世話をする日々を送っている。

体力的にも精神的にも疲弊してなお悟が父の介護を続けるのには、姉の真理が所帯持ちである以外にも理由があった。

悟は20年以上も前、父への反発心から心無い言葉をぶつけてしまい、そのことを悔いていたのである。償いのため父と向き合う悟。しかし、父の認知症は進行するばかりだ。そしてついに、悟の父は徘徊の末、行方知れずとなってしまう。

●前編:【「あのときもっと素直になれたら」かんしゃくを起こし暴れだす認知症の父を世話する40代男性の後悔

翌朝、悟は昨晩の出来事を思い出して溜息をついた。怒りに任せて父に怒鳴り散らした自分が、ひどく幼稚で情けない存在に思えた。  

「父さんに謝らなきゃな……」  

そう頭では分かっていても、父の顔を正面から見ることができない。朝食を準備しながら、ちらりと居間の座椅子に座る父の横顔を覗き見る。

「……父さん、今日の調子はどう?」

悟が恐る恐る声をかける。父は悟へと視線を向ける。その目はうつろでどこも映しておらず、不安そうにかすかに揺れる。 やがてしばらく黙りこんだあと、父は首をかしげた。

「お前……誰だ?」  

「え……」

悟は思わず、手に持っていた湯呑をシンクへ落とした。湯呑は割れなかったものの、大きな音を立てて転がり、排水溝に引っ掛かって止まった。

たとえ父が悟の顔を思い出せなくなっても、介護に追われる毎日は悟を逃がしてはくれなかった。

ある日、悟が仕事を終えると、姉からの着信履歴がいくつも残っていた。慌てて電話をかけ直すと、姉の切迫した声が飛び込んできた。  

「悟! 父さんがいないの! 家から出て行っちゃったみたいで……」

認知症患者が徘徊中に事故や事件に巻き込まれるケースは多い。嫌でも最悪の事態が頭をよぎった。悟はすぐに実家へと向かい、姉と合流した。

「どのくらい前から?」  

「夕方、ほんの少し目を離した隙に。近所を探したけど、見つからなくて……」

「手分けして探そう。俺、姉ちゃんが見たところもう1回見てみるから。姉ちゃんは警察にも連絡して」

力強く言ってはみたものの、どれだけ探し回っても父の姿は見つけられなかった。近所の人やコンビニなどにも聞き込みをしてみるが手ごたえはない。何か手がかりはないだろうか。必死に手繰った記憶に、いつだったか父が駄々をこねた日のことが思い浮かんだ。

――河原で凧をあげよう!

河原にいた父が覚えていたこと

一縷の望みをかけて河原へ向かってみると、薄暗がりの中でぽつんと川岸に立っている父の小さな影が見つかった。

「父さん!」

悟は砂利と雑草に注意しながら駆け寄った。父はぼんやりとした表情のまま、しばらく悟を見つめ、やがて口を開いた。  

「……おお、悟。遅かったじゃないか」  

「父さん、ここで何してたんだよ。みんな心配して探してたんだぞ」

切れた息を整えながら、父を睨む。父は悟たちの心配など露知らず、嬉しそうにふと表情を崩した。

「風がいいな、ここは……凧がよく飛びそうだ」

「また凧かよ……父さん、本当に好きなんだな」

 やっぱり、と思うと同時に、悟は呆れて肩を落とした。

「凧が好きだったのはお前だよ、悟」

「は? 俺が好きだった?」  

呟くように問うと、父はゆっくりと頷いた。  

「お前、小さいころ、風が吹いてるのを見ると必ず『凧あげしよう』ってせがんできたじゃないか。だから一緒に作ってな、年明けに飛ばしただろ」

その一言は、忘れていたのが嘘のように悟の記憶を呼び起こした。

確かに、小学生の頃、父と一緒に凧を作った。父はぶきっちょな手つきで竹ひごを組み合わせ、紙を貼っていた。その光景が、鮮明に脳裏に浮かんだ。

「そうだ……作ったんだ、父さんと一緒に」

悟は無意識に微笑んでいた。  

「そうだろ?」

父もまた、微かな笑みを浮かべていた。その表情に、かつての父の面影がほんの少しだけ垣間見えた気がした。

「父さん、この間は怒鳴ってごめん……いや、今までのこともごめん。凧あげは……今度一緒にしよう。今日はもう暗いし、寒いからさ……家に帰ろうよ」
不思議とそう口にしていた。父は素直に頷いた。  

「そうだな、家に帰ろう」

2人は河原を後にする。頭上では、月が鈍く光り始めていた。

少し照れくさそうに笑う父

数日後、悟はその手に簡単なビニール凧を握りしめながら、父を連れて再び河原を訪れていた。

父が走るのは危なっかしいので、悟が代わりに凧を広げて河原を走る。少し走っただけで息が上がり、年を取ったことを痛感させられる。もちろん凧はうまく飛ばず、何度も地面に墜落して引きずられた。

「全っ然、上手くいかないよ、父さん!」

「風を読むんだ、風を!」

少し離れたところで父が叫んでいる。楽しそうに空を指差している父に昔の姿が重なる。これじゃあどっちが子供か分からないなと、悟は思わず笑みをこぼす。

とはいえ、このまま凧が上がりませんでしたでは恰好がつかない。手をつないだり補助しておけば大丈夫だろうと、悟は父に竹ひごを握らせる。

「そんなに言うなら父さんがやってみてよ」

「いいか。見てろよ?」

父はそう言って、目を閉じた。そんなに本気にならなくてもと思いつつ、悟は父を見守った。

「今だ!」

強い風が川の上流が吹きつけた瞬間、父が小走りを始めた。足取りはおぼつかなくて危なっかしく、悟は父の手を握って支えた。

果たして、凧は空高くに舞い上がる。

「おぉ、すげえ」 

父を支えながら、青空に浮かんだ凧を見上げる。太陽を間近で受ける凧は薄く輝いているようにすら見えた。

「お前に良いところを見せたくて練習したからな」

少し照れくさそうに笑う父に、悟の胸の奥に温かい気持ちがあふれた。認知症の症状が進んでいく中で、この瞬間だけは確かに父は悟の父だった。

「ちょっと悔しいな。俺にも凧あげ教えてよ、父さん」

悟の言葉に、父は静かにうなずいた。風が吹き抜ける中、凧はどこまでも高く舞い上がっていった。  

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

梅田 衛基/ライター/編集者

株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。

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