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勝手に騒がれた“トレード拒否” 国内FAも「実質クビだった」…波乱万丈の野球人生

Full-Count / 2024年4月6日 7時10分

大阪ゼロロクブルズで監督を務める藤井秀悟氏【写真:町田利衣】

■元ヤクルトや巨人の藤井秀悟氏「一瞬でお先真っ暗な経験を何回もしている」

 ヤクルト、巨人などで通算83勝を挙げた藤井秀悟氏は現在、関西独立リーグ「大阪ゼロロクブルズ」で監督を務めながら、大学生への就職支援を行っている。ドラフト2位の逆指名で飛び込んだプロの世界で4球団を渡り歩き、トレード、フリーエージェント(FA)、人的補償、戦力外を経験。波乱万丈だった15年間の現役生活を経て、伝えていることがある。

「一瞬でお先真っ暗な経験を何回もしている。僕みたいな人、なかなかいないと思うんです。失敗もたくさんしましたけど、いろいろなことを学ぶことができました」

 1999年ドラフトでヤクルト入りし、2001年に最多勝&ベストナインに輝いた。2008年1月、サイパンで自主トレ中に練習を終えると、知人から「ネットにトレードって出ていますよ」と連絡が来た。思ってもいなかった事態に呆然。数時間後に球団から「トレードなので帰ってきてください」と電話が来たが、藤井氏は「3週間の日程で行っていて、まだ第1クールだったから。お金を払って行っているのに……」と帰国を固辞。当初の日程通りに自主トレをやり切り帰国した。日本では「藤井トレード拒否」と騒がれていたことを知った。

「ヤクルトで一生を終えると思っていたので、ショックでしたね。必要とされていないんだ、という気持ちの方が強かったです。すぐキャンプが始まるけれど、生活が全く変わるので正直野球どころじゃない。キャンプ中に家を探していました」

 移籍した日本ハムで2年間を過ごし、2009年オフに国内FAを宣言する。しかし「実質クビだったんです。代理人から『明日球団事務所に行ってください』と言われたときから、どうなるんだろうという不安しかない。1か月くらい(連絡が)何もなくて、どこもなければ引退するしかない。『問題児だから決まらない』とかも言われて、不安でした」と胸中を吐露した。

■“トレード拒否騒動”から4年…「帰国しましたよ。成長しました」

 そして巨人が獲得に動き、首はつながった。待ちに待った連絡に、心躍った。「FAして契約金もなく年俸が下がったのって僕だけじゃないですかね」というが、それよりもユニホームを着られる喜びに満ち溢れていた。

 まだまだ“転機”は続く。2012年1月、自主トレ先のハワイで夜11時頃、「通知不可能」の電話に出ると、球団関係者から言われたのは「明日帰ってきてください」だった。「FAのときのことがあったので、帰国しましたよ。成長しました」。その夜は一睡もせず飛行機のチケットを抑え、早朝にグラウンドに行って練習場所の解約、荷造りをして日本に向かった。村田修一の人的補償でDeNAへの移籍だった。

「今思えば、ベイスターズに行って選手生命が伸びた。たぶん、あのままジャイアンツにいたら次の年にダメになっていたけれど、そこから3年(現役で)いられた。チャンスが増えたのは分かっていますが、行くならほかの制度で行きたかったなという思いもありますね」

 ジェットコースターのような球歴だけではない。マウンド上でヤジに涙したり、顔付近の球を投じてタイロン・ウッズに右頬を殴打されたこともある。球場外でも、サッカーを見に行って熱を出したことも……。とにかく話題に事欠かず「問題児」と言われたこともあった。

 こんな経験も、全てが藤井氏の財産となっている。現在は監督業の傍ら、アスリート就職支援コンサルティング「cantera(カンテラ)」でプロを目指すアスリートに特化したセカンドキャリア支援を行う。「野球ばかりやるのは大切だけど、やり切ったときに何ができるか、何がしたいかが分からない人が多い。そこを、野球を通じて見つけていかないとダメだよと。プロに入ったとしても、入って終わりじゃないですからね」。藤井氏だからこそ、伝えられることがある。(町田利衣 / Rie Machida)

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