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日本代表選出も“拒否”「行かへん、無理や」 未知数だったWBCの価値「興味なかった」

Full-Count / 2024年5月10日 7時10分

元ロッテ・藤田宗一氏【写真:片倉尚文】

■藤田宗一氏はWBCメンバーに選出も当初は難色…同期の球団広報に説得された

 ロッテ、巨人、ソフトバンクで600試合全て救援登板したサウスポーの藤田宗一氏は、2006年に開催された「第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」で日本代表の優勝に貢献した。「実は、最初はメンバー入りを断っていたんです」。誰もが憧れる「JAPAN」のユニホーム。一体どういうことだったのか。

 ロッテの2005年シーズンは嬉しくも長かった。リーグ優勝し、日本シリーズを制覇。おまけにこの年から創設された国際大会「アジアシリーズ」にも出場し、初代チャンピオンに輝いた。11月中旬までプレーすることになった。

 藤田氏はフル回転の疲れを癒すべく、同学年の榎康弘球団広報(現スカウト)らと車で静岡県熱海市の温泉に向かっていた。榎氏が「あー藤田、そう言えばお前、WBCに選ばれてるぞ」と日本代表・鹿取義隆投手コーチから伝えられていることを明かす。「連絡あったか?」と尋ねられ、素っ気なく「いや、ないよ」と返した。

 WBCは初開催。「まだ海の物とも山の物ともつかない。興味がなかった」と振り返る。毎年12月はボールを握らず完全休養に充てていた。サービスエリアでの休憩の際に榎氏が「行け。出ろ」と説得するが、「オフはゆっくり休みたいから行かへん、無理や」と拒絶した。

 それでも榎氏は引かない。宿に着くや、鹿取コーチに電話を入れ「藤田は行きます」とのたまうではないか。

「エーッと驚いて、遠くから『鹿取さん、行かないですよ僕は』と言ったら、鹿取さんが『電話を替われ』と言う。『じゃあ、メジャー球を送るから用意しといてくれ』と指令を受けたので『いやいや、すいません』と断ったんですけど……。聞く耳を持ってくれず『あー、わかった』。それで決まっちゃいました(笑)」。問答無用だった。

■準決勝進出は絶望的状況も…諦めなかった王貞治監督

 ロッテからは12球団最多の8人が選ばれた。2006年春季キャンプでWBCについて語り合うのだが、「大会はどういう仕組みなのだろう?」など戸惑いばかり。「皆、ゼロからですからね。自分もいつ投げるかわからないし、もしかしたら投げないかもしれない。とりあえず調整しとこう。そんな風でした」。

 2月下旬に福岡ドームで代表合宿が始まった。王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)の下、イチロー外野手(当時マリナーズ)、大塚晶則投手(当時レンジャーズ)のメジャー組2人も参加した。「イチローって結構喋るんだな、こんなに笑うんやと思いました」。稀代の安打製造機はチームをまとめようと心を砕いていた。

 3月に開幕したものの、大会序盤の熱量は“微妙”だった。東京ドームで行われた第1ラウンド初戦の中国戦の観衆は約1万6000人。韓国に敗れ2勝1敗で、第2ラウンドの舞台・米国へ飛び立った。「ドームは最初は人が全然いなかった。アメリカに行く時も、僕らの頃はジーパンを履くとか私服でした。代表用のスーツとかもなかったと記憶しています」。

 アナハイムでの第2ラウンド初戦。日本は、アレックス・ロドリゲス内野手(当時ヤンキース)ら現役メジャーリーガーが揃う米国と接戦を繰り広げる。同点の8回1死満塁からの左翼フライで、三塁走者の西岡剛内野手(当時ロッテ)がタッチアップ。勝ち越したはずが、米側は離塁が早いとアピール。主審はこれを認めた。登板を終えていた藤田氏はベンチで「セーフやんけ」と唖然。王監督が猛抗議するも変わらず、最後は3-4でサヨナラ負けとなった。

 藤田氏は指揮官の姿勢が“奇跡”を起こしたと確信する。「王会長は試合後のミーティングで『まだ終わったわけじゃない。絶対チャンスはあるから』と仰った」。その後、韓国にも再び屈し1勝2敗で準決勝進出は絶望的となった。ところがメキシコが米国を破り、3チームの勝敗が並ぶ。失点率で日本が蘇った。

「みんな帰る準備をしていました。イチローも、メキシコが勝つとは思ってなかったのでは。でも王会長だけは『何があるかわからない』と諦めていなかった」

■出国時とは激変した状況…帰国時の成田空港は「人、人、人です」

 サンディエゴでの準決勝は、3度目の正直で韓国に6-0で完勝。3月20日の決勝はキューバを10-6で制した。藤田氏も3番手で大会3試合目の登板を果たした。

 劇的な優勝に日本は熱狂していた。藤田氏は到着した成田空港で驚く。「うわーっと、人、人、人です。『何じゃ、こりゃ』と。行く時は人がいなかったですから」。帰国後の状況は一変。家族と自宅近くの飲食店で食事をしても、客から話しかけられるようになったという。

 昨年のWBCは、大谷翔平投手(ドジャース)を中心に代表招集の時点から大人気。藤田氏は「僕も今なら喜んで出ます。あれだけ騒がれるのなら。羨ましい」と笑う。

「持つべきものは友」とは本当だ。「榎様様ですよ。今でも食事に行ったら『お前のおかげや』と言います。アイツも『そやろ』と。あのまま断っていたら、僕は普通のロッテ選手でした」。日本が今後も世界に頂点に立っても「初代」というパイオニアの冠は煌めき続ける。(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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