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無名だった男が世界へ…リオ五輪代表DF亀川「後悔だけはしたくない」

ゲキサカ / 2016年7月21日 18時0分

無名だった男が世界へ…リオ五輪代表DF亀川「後悔だけはしたくない」

 手倉森ジャパン発足当初から常連メンバーの一人として、2年以上活動してきたアビスパ福岡DF亀川諒史は、見事にリオデジャネイロ五輪行きの切符を手に入れた。しかし、ここまで来れたのは決して一人の力ではないと強く感じている。「託される側」に回った男は、ともにアジアを戦い抜きながらも涙をのんだ仲間たち、そして今まで支えてくれた人たちの思いを背負って世界の舞台に挑む。

代表のユニフォームを着る以上
生半可な気持ちでピッチには立てない

――リオデジャネイロ五輪メンバー18人に選出されました。率直な気持ちを教えてください。
「自分の名前があって、素直に嬉しかったです。選ばれる選ばれないを決めるのはテグさん(手倉森誠監督)や協会の人だし、国内ラストマッチとなった南アフリカ戦後に、それまでの2年以上の代表活動を振り返って本当にやり切ったと思えた。これで選ばれなかったら仕方ないくらいの気持ちになっていたし、あとは待つだけだったので、メンバー発表のことはあまり深く考えていませんでした」

――メンバーに入ったことをどこで知りましたか?
「家でしたが、メンバー発表がネット中継であるのも知らなかったんです。普通にテレビを見ているときに、サッカーサイトが更新されているのを携帯で見て気付いて、そこで初めて知りました(笑)」

――最終予選後、SBには負傷者が続出したこともあって新戦力が多く試されるだけでなく、オーバーエイジとして藤春廣輝選手の内定がいち早く発表されました。
「確かに多くの選手が招集されていましたが、人がどうこうよりも自分に矢印を向けて、個人的に何をしてどうすべきかを考えていて、周囲のことはあまり気にしていなかった。藤春選手の内定が発表されたときも、左SBはもろに自分のポジションと被りますが、自分のレベルがまだ足りないのだと感じたし、『一枠決まってしまった』と思うのではなく、自分がやるべきことをして、何とかメンバーに入ろうと前を向いていましたね」

――プロになる前、代表は遠い存在だったと話していました。
「帝京三高時代の僕は無名で高校選手権に出場したこともなかったし、代表には縁がなかった。それでも、今回の代表が立ち上げられたとき、初めて年代別代表に呼んでいただきました。最初の頃はすごく新鮮な気持ちだったし、良い経験ができていると思っていましたが、呼ばれるたびに『ずっとここにいたい』『選ばれ続けたい』という思いが出てきて、日々のトレーニングに対する意識も変わったと思う。五輪メンバーに選んでもらえたことで責任感がより増したし、代表のユニフォームを着る以上、生半可な気持ちでピッチには立てないと思っています。それと個人的に、高校生までくすぶっている選手もいると思いますが、そういう選手の『光』になれればいいなと思うようになりましたね」

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