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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:凱旋(ベガルタ仙台・照山颯人)

ゲキサカ / 2019年5月30日 20時7分

「小学5年の時に柏市トレセンで一緒になって、そのままここにも一緒に入ってきたので、アイツは絶対的な仲間だと思っているんです」。アイツとはもちろん照山のこと。実は彼もまた、中学時代の3年間はレイソルのエンブレムが付いたウェアを纏いながら、日々ボールを追い掛けていた選手だったのだ。

 杉井の言葉にもあるように、小学5年から柏市トレセンに選出されるなど、地域でも名の知られる選手だった照山は、中学進学時からレイソルU-15へと加入する。ハイレベルな仲間と共に切磋琢磨する毎日は刺激的だったが、当時の感覚としては周囲に付いていくのが精いっぱい。主力を担うまでには至らない。

「ボランチとかセンターバックだったり、サイドバックをやっていましたけど、メンバーは固定されていたので、試合に出ていなかった自分は、ユースに上がったヤツらと競うというより、一緒にやっていたぐらいの感じです」と当時を振り返る照山。ある意味で杉井をはじめとした“出ている選手”は「『凄いな』と思っていたし、目標にもしていた」ような存在。U-18への昇格は叶わず、成立学園高への進学を選択することになる。

 その成立学園で総監督を務める宮内聡は、入学当初の照山をこう表現する。「ヒョロっとして大きくて、『平均点は持っているだろうけど、力不足なんだろうな』という感じでスタートしました。だから、『なんでこの子がユースに上がれないんだろう?』という感じではなかったかもしれないですね」。

 成立学園には彼の前後から、毎年レイソルU-15の選手が進学してくる流れがあった。「『また今年も来てくれたな』って。『ユースに上がれなかったね。悔しいから3年後には上がったヤツらを追い抜けるように頑張ろうね』というのが、彼らへの謳い文句でしたね」と口にする宮内。照山本人も「『高校で頑張って追い抜いてやろう』という気持ちで成立に行きました」と明かしている。

 宮内はある“特訓”が最も印象に残っている。「高校2年生の時に『ちょっと総監督受けてもらえますか?』というので、40メートルくらいのロングキックを毎日30分くらい必ずやっていたんですよ。それに付き合った時期があって、その思い出が非常に強いですね」。その時の“思い出”は後輩の指導にも生かされている。「だから、今の選手たちに『なんで照山くんはあれだけ蹴れるようになったんですか?』と聞かれたら、『それは毎日蹴り込んで帰っていたからだ』という話ができますよね」。今の部員の大半は昨年まで照山を間近で見ていた選手たち。彼らの汗が染み込む東鷲宮のグラウンドでは、確実に“先輩”の遺産が後進へと受け継がれているようだ。

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