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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:“100人目”という通過点(前橋育英高・山田耕介監督)

ゲキサカ / 2022年2月3日 7時10分

前橋育英高を率いる山田耕介監督。キャップはおなじみのトレードマークだ

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 就任当初はすぐに故郷の長崎へ帰ろうと思っていた。縁もゆかりもない群馬に高校教師として赴任し、不良少年たちの中に放り込まれ、サッカーの指導どころではない日々に辟易としていたのだから。だが、その人が前橋育英高サッカー部の監督として過ごした時間は、この3月でちょうど40年を迎える。

「こんなに長くなるなんて思ってないよ。最初はすぐやめようと思っていたんだから。だいぶ長くなり過ぎましたね(笑)」。いつも通りの穏やかな口調でそう話す“山田先生”が、からっ風の吹きすさぶ上州の地から、プロの世界に送り込んだ教え子の数は、とうとう今年で100人を超えることになる。

 きっかけは、数年前からよく聞かれていた質問だった。「何年か前からいろいろな人に『プロ選手って何人ぐらい出たの?』って聞かれて、『80人ぐらいかねえ』なんて言っていたんだけど、正式にちゃんとわかっていなかったんですよ。でも、今回の大学4年生が数名プロになりそうだということで、ちょっと調べてみようと思ったんです」。

 山田先生は過去の名簿を引っ張り出し、甦ってくる思い出とともに1人1人の名前を書き出していく。「そうしたらちょうど90何人もいて、『ええっ?』となって、正式に調べようという話になったんですよね」。改めてOBの卒業後の進路を調べ、プロサッカー選手になった教え子を数えていくと、なんと98人にも上っていた。

 この春に同校を卒業し、V・ファーレン長崎でプロの道へと足を踏み入れる“98人目”、笠柳翼の入団記者会見時に、『前橋育英歴代プロサッカー選手』と銘打たれた資料が報道陣に配布される。懐かしい名前の並ぶリストを見ながら、「自分も『全員言え』と言われても、たぶん言えないです(笑)。やっぱり歴史がありますよね」と笑った山田先生だが、もちろんその歴史が一朝一夕で築かれたものでないことは、言うまでもない。

 先日、惜しまれながら逝去された小嶺忠敏監督の指導を仰ぎ、島原商高時代にはキャプテンとしてインターハイで九州勢初の日本一に。法政大でも主力としてプレーしており、社会人チームからの誘いも受けていた中で、教員採用の話があった前橋育英に社会科教諭として赴任することになる。

 1982年4月。期待に胸を躍らせる新任監督の目の前に広がっていたのは、想像していたものとまったく違う光景だった。サッカー部の部室には、吸い殻のたまった灰皿が。リーゼント頭に“ボンタン”を履いた部員たちを見て、来る場所を間違えてしまったと後悔の念が押し寄せる。

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