1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. サッカー

『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:“100人目”という通過点(前橋育英高・山田耕介監督)

ゲキサカ / 2022年2月3日 7時10分

 ただ、真面目で血気盛んでもあった山田先生は、体当たりで部員たちと向き合い始める。マラソン、相撲、柔道、そして全員とドリブルの1対1。様々な勝負を繰り返し、彼らと時間を過ごしていくうちに、少しずつあることに気付いていく。

「格好はやんちゃなんですけど、意外と中身は勤勉なヤツが多かったんです。まず、嘘は言わないんですよ。悪いことをすればすぐにバレちゃうというか、『オマエ、ちょっと煙が出てるぞ』『はい、吸いました!』みたいなね(笑)。素直に言うんですよ。やんちゃはやんちゃなんだけど、弱い者いじめはしないし、男気があるようなヤツがいっぱいいましたね。筋が通っているんです」。

「“不良少年”と“非行少年”は全然違います。不良少年はやんちゃだけれども、人を助けたりするんですよ。『何かあったらオレがなんとかしてやる』みたいな。一番良くないのは、先生の前ではいい子ぶって、嘘を言って、ごまかして、何とか乗り切ろうとするヤツです。裏を返すと、僕の根本は不良少年と過ごしたあそこにあるんですよね」。山田先生はいつの間にか、前橋育英サッカー部に強い愛着を抱くようになっていた。

 『前橋育英歴代プロサッカー選手』リストの一番上。1人目のプロサッカー選手として記載されているのは、フランスワールドカップにも出場し、現在は名古屋グランパスでGMとして辣腕を振るう山口素弘だ。

「素弘は僕が20代中盤くらいの頃の選手ですから、相当いじめられたと思いますよ。『走らなきゃダメだ!』って。でも、日本を代表する選手になるとは、予想もしていなかったですね」と当時を振り返る山田先生だが、ある特徴が印象に残っているという。

「人を生かすプレーは物凄く上手でしたね。自分もまだ走れたので、一緒に紅白戦をやると、本当にやりやすかったです。優しいボールが出てきてね。それは実感していました。周りが生きてくるんですよ」。就任5年目。前橋育英が初めて高校選手権で全国大会に出場した時の主将でもある山口は、開会式で選手宣誓も行っている。

 同じくワールドカップまで辿り着いた松田直樹も、思い出の多い選手だ。「直樹は別格の身体能力でした。ちょっとモノが違うだろうと。400メートルとか800メートルを走らせたら、陸上選手でも行けたんじゃないかというぐらいで、サーッと走っていましたからね。185センチぐらいあって、ストライドも大きくて。『これは日本を代表する選手になるな』というのは、高校時代から分かっていました」。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください