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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:“100人目”という通過点(前橋育英高・山田耕介監督)

ゲキサカ / 2022年2月3日 7時10分

 1998年度の高校選手権で初めて全国4強を経験し、翌年度も国立競技場まで勝ち上がった代からは、現在母校でコーチを務めている松下裕樹を筆頭に、4人のJリーガーが誕生した。「やっぱり松下の時ぐらいからじゃないですか。『ああ、こういう選手がプロに行ったら通用するんだ』という手応えを掴んだのは。岡田や大島があそこまで行くとは思っていなかったですからね」。

 山田先生が挙げた“岡田”とは、コンサドーレ札幌へと進み、今では司法書士へと転身を遂げた岡田直彦。“大島”とは高卒ルーキーとして加入した横浜フリューゲルスを皮切りに、19年間のプロ生活をまっとうした大島秀夫(現・横浜F・マリノスコーチ)。32期生の岡田の代から、56期生に当たる笠柳の代まで、すべての代が必ずプロサッカー選手を輩出しているが、その礎は岡田や大島、松下が在籍していた1990年代後半に着々と築かれていった。

 最も多くの選手がプロの門を叩いた世代は、前橋育英が初めて高校選手権で全国決勝まで勝ち上がった際に3年生だった50期生。日本代表にも選出された坂元達裕(オーステンデ/ベルギー)や小泉佳穂(浦和レッズ)、鈴木徳真(セレッソ大阪)、渡邊凌磨(FC東京)をはじめ、実に9人の選手が国内外でプロサッカー選手になっている。

「この代は凌磨と徳真がずっと代表に呼ばれていたので注目されていましたけど、佳穂も本当に良い選手でしたよ。右足でも左足でも蹴れて、俯瞰しながら周りが良く見えていて、『コレは絶対良い選手になるな』と思っていました。ボランチは徳真と大志(吉永大志/福島ユナイテッドFC)がいたので、いつも切り札、ジョーカーみたいな感じでしたね。ただ、インターハイの時は大志がケガしたので、佳穂を準々決勝ぐらいから出したら、優秀選手になっちゃって。『おお、入ったよ』って(笑)」。

 ともにFC東京U-15むさしからU-18へと昇格できず、前橋育英へと進学してきた小泉と坂元の思い出を、山田先生は楽しそうに教えてくれた。「あの2人はいつも一緒に練習していた印象はありますね。ウチに来た時は声変わりもしていなくて、2人だけ声が違うので、すぐどこにいるかわかりました。『佳穂もタツも来てるな』って。それが、ある日急にわからなくなっちゃって、『アレ?佳穂いる?タツいる?』って。『ああ、いるってことは声変わりしたんだな』って(笑)。でも、2人ともまだまだこれからですよね」。多忙な日々の中でも、彼らを含めた教え子が出ている試合は必ずと言っていいほどチェックしてしまうそうだ。

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