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15年ぶりに選手権へ帰ってきたカナリア軍団が残した確かな爪痕。「2024年の帝京」が築き上げた指揮官と選手たちのフラットな絆

ゲキサカ / 2025年1月4日 7時47分

15年ぶりに帰ってきた選手権の舞台で帝京高は確かな存在感を放った。(写真協力『高校サッカー年鑑』)

[1.2 選手権3回戦 明秀日立高 1-1(PK5-4) 帝京高 U等々力]

「本当に選手たちがいろいろな想いを持って1年間やってきて、駆け足のように進んできて、『ああ、選手権に出るんだ』という感覚になって、スタートしてみたら開幕戦になって、駆け足のように進んできましたけど、1回の敗戦で、一瞬でなくなる儚さというか、いろいろな方に作ってもらっている大会が、一瞬で終わるんだなと感じています」。

 雌伏の時を経て、15年ぶりに選手権へ帰ってきた帝京高(東京B)を率いる藤倉寛監督は、敗退が決まった直後の取材エリアで、そう話した。

 この指揮官が興味深いのは、常に客観的な視線を持ち続けていることだ。以前に「私には嬉しい、悲しいという感情が欠如しているので」と冗談交じりに話していたことがあったが、いつも物事を極めて冷静に捉えている印象がある。

 3回戦の明秀日立高(茨城)戦は、「外から見ていたら、自分たちのやりたいことは消されているなと思いました」と藤倉監督も振り返ったように、とりわけ前半はいつもの流れるようなパスワークが鳴りを潜め、意図的なチャンスを作り出すこともままならない。

 0-0で迎えたハーフタイム。指揮官は選手たちを観察していたという。「相手のスピード感とかテンポをはぐらかそうとはしているんでしょうけど、それがうまく行かない中で、『じゃあこのノリでどこまでできちゃうの?』みたいなところで、選手たちは『やれてない』とか『うまく行ってない』という顔ではなくて、『このまま行っちゃおうぜ』みたいなテンションで帰ってきたので、『ああ、そっちを選ぶんだ』と。『「それでも行ける」という気持ちを持っているんだな』ということはハーフタイムに話しているのを聞いてわかったので、変にこっちで『そうじゃない』という話はしないで送り出しました」。

 藤倉監督は開幕戦の試合後にも、1-1と追い付かれたシーンに関して、似たようなニュアンスのことを話している。「おそらく失点した後も声を掛けることすらもできないで、ゲームがスタートしたと思います。ただ、今年のチームは1年間総じて、そういった時にはキャプテンの砂押を中心に、チームがピッチ内で解決してきた場面を見てきましたし、劣勢の準備とか、残り5分でリードされるかもしれないといったところは、ゲームの前に話はしていたので、そういった部分では選手たちが落ち着いて対応していた印象でした」。

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