離婚の原因は〈夫の文学的センス〉のなさ⁉ 里帰りしていた清少納言が「ワカメの切れ端」を夫に送りつけたワケ
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年3月9日 12時45分
(※写真はイメージです/PIXTA)
吉高由里子さんが紫式部を演じていることでも話題の大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。藤原道長はじめ歴史の教科書に載っている貴族たちが次々に登場し、権謀術数渦巻く貴族政治を繰り広げます。ドラマでファーストサマーウイカさん演じる“ききょう”はのちの清少納言。快活な才女で“陽キャ”として描かれますが、その生涯は謎も多いとされています。本稿では、歴史研究家・歴史作家の河合敦氏による著書『平安の文豪』(ポプラ新書)から一部抜粋し、清少納言の人物像について解説します。
清少納言という人物
彼女(清少納言)は千年ぐらい前に活躍した女房だ。女房とは、朝廷や貴族に仕える比較的身分の高い女性のことで、清少納言の主人は、一条天皇の中宮(後に皇后)・定子である。
中宮付きの女房(宮の女房)は、その世話や話し相手をしたり、男性貴族との仲介や口入れ役をになったり、さらに教育係でもあったといわれている。
当時は、摂関政治の全盛期。前述のように、藤原(北家)一族の男たちは、姉妹や娘を天皇の妻にし、外戚(母方の親戚)として力をふるおうとした。そこで天皇に気に入ってもらえるよう、一族の女性に優秀な女房をつけ、教養を学ばせたのだ。
清少納言は、清原元輔の娘として生まれた。元輔は「受領」という現地に赴く国司の長官(守)として周防や肥後に赴任している。ちょっと語弊はあるが、わかりやすくいえば、今の都道府県知事のような仕事だ。
朝廷から地方へ派遣されて民政をになうが、とくに定められた税をきちんと国庫に納入するのが、受領に期待された最大の役目だった。余得は自分の懐に入れることができたので、中・下級貴族の職だが比較的裕福だったとされる。ただ、清原家は経済的に苦しかったという説もある。
清少納言の生年ははっきりしないが、康保三年(966年)説が有力である。
母の身分は低かったようで、一切記録には残っていない。一方父の元輔は下級貴族ながら、歌人として名がとどろいていた。清少納言の曾祖父・深養父も『古今和歌集』など勅撰集に多くの和歌が載録されている。
「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ」
という和歌は、藤原定家が撰したとされる「小倉百人一首」にも載録されているので、ご存じの方も多いだろう。
そんな深養父の孫である元輔は、祖父の才能を受け継いだのかもしれない。
彼も藤原公任の撰した三十六歌仙の一人とされ、歴代の勅撰集に百以上の歌が載録されている。さらに百人一首にも、
「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」
という歌が選ばれている。
清少納言のユーモアセンスは父親譲り?
そんな歌人・元輔だが、賀茂祭の使いとして一条大路を馬に乗って通過中、馬がつまずいて転落してしまう。その拍子に冠がすっぽ抜け、はげ頭があらわになり、しかも夕日に照らされて輝いたのだ。当時、人前で冠を取るというのは、パンツを脱ぐのと同じくらい恥ずかしい行為だった。だからこれを見た人びとはゲラゲラ笑った。
すると元輔は、同じように冠が取れてしまった昔の事例をいくつもあげつつ人びとに説教を始めたという。あえて人びとを笑わせたのだろう。ユーモアのセンスがあり、なおかつ、瞬時に過去の事例をあげるほど教養が深く機知に富んでいたのだ。後述するが、この資質が清少納言に伝わったのは間違いないと思う。
清少納言には兄姉がおり、「確認出来るものは、雅楽頭為成・大宰少監致信・花山院殿上法師戒秀、藤原理能(『蜻蛉日記』の作者の兄にあたる)の妻の四名である」(岸上慎二著『人物叢書 新装版 清少納言』吉川弘文館)。また岸上氏は、清少納言は元輔のもっとも晩年の子供であるらしいとし、59歳の時の出生であると推測している(前掲書)。だとするときっと父に愛されて育ったに違いない。
結婚は16、17歳の頃といわれ、相手は1歳年上の橘則光(たちばなののりみつ)であった。則光は、花山天皇(後の法皇)の乳母子だった関係から院司(直属の職員)をつとめていたとされる。翌年、2人の間には息子(則長)が生まれている。さらに季通という次男が生まれたという説があるが、結婚生活のほうは10年ぐらいでピリオドを打った。離婚原因は、性格の不一致の可能性が高い気がする。
『今昔物語集』によれば、則光は兵の家に生まれたわけではないが、豪胆で体が強く、見目も良かった。夜中に盗賊3人に襲われたさい、これを斬り殺し、左衛門尉(さえもんのじょう)と検非違使(けびいし)に叙されている。左衛門尉とは宮廷の門を守る武人。検非違使は都の治安を守る、今でいう警察官である。
一方、清少納言は知的で漢籍(中国の学問)の教養が深く、頭の回転が速くて相手の問いかけにすぐにユーモアや気の利いた言葉を返し、その場にぴったりな見事な言葉を語ったり歌を詠み上げたりした。このように体育会系の則光と文化系の清少納言とでは、話が合わなかったかもしれない。
清少納言が夫に「ワカメの切れ端」を包んで送ったワケ
あるとき清少納言が宮中を離れてしばらく里に引っ込んでいたことがある。このおり、藤原斉信が則光に彼女の居場所をしつこく尋ねてきた。
この斉信という人は、清少納言ととても親しい関係にあった。といってもプラトニックな関係であり、互いに教養の深さに惹かれあい、性別を超えて交際していたとされる。則光は斉信に仕えていたこともあり、たびたび彼から元妻の居場所を聞かれた。
そこでとうとう「斉信に教えてよいか」という手紙を清少納言に送ったのである。
対して清少納言は、ワカメの切れ端を包んで送りつけた。以前、則光がワカメをほおばって斉信への返事をごまかしたと聞いたので「今回も私の居場所は教えないでほしい」とユーモアを交えて伝えたつもりだった。
ところが則光は、「変なものを包んで送ってくるなよ。何かの間違いか」とまったく理解してくれない。そこで今度は、それを説明する歌を書いて差し出したら、「そんな歌なんか見ない」と腹を立てて逃げていってしまったという。
こんな文学的センスのない男だったので、清少納言は愛想を尽かしたのだろう。
とはいえ、離婚後も二人は仲良しだった。清少納言の出仕後、則光は宮中で清少納言を「妹」と呼び、周囲にその才女ぶりを自慢し、ときおり彼女を訪ねてきている。
清少納言も則光を「せうと(兄の意味)」と称していたようだ。
正暦四年(993)あたりに、独り身となった清少納言は宮仕えを始めた。時に28歳ぐらいである。ちょうど主人・藤原定子の実父である道隆が関白に就いた年であり、権力の頂点を極めたことで娘に優れた女房をつけようと、清少納言を含めて才女たちを増員したのかもしれない。
周知のように清少納言は、本名ではない。女房名といって、朝廷や貴人に仕えるときにつける仮の名だ。清少納言の「清」は父方の清原氏の一字をとったもの。少納言は朝廷の職名だ。
通常は父や夫の職にちなむことが多いのだが、彼女の周りには少納言の官職を持つ人はいないので、これに関しては、兄弟に少納言に任官した人物がいたのだなど、諸説がある。
江戸時代の書物で、「諾子」が本名だとする記録もあるが、信憑性に欠ける。残念ながら、彼女を含めて当時の女性名はほとんど記録に残っていないのだ。
河合 敦
歴史研究家/歴史作家
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