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大好きな服を「9割減」まで捨てまくった結果、おしゃれ心は一切失わず「膨大なお金とエネルギー」を生み出すことに成功した件

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年4月6日 10時0分

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(※写真はイメージです/PIXTA)

『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』の著者である稲垣えみ子さんは、会社を辞めて移り住んだ先のワンルームマンションに収納がなかったため洋服の断捨離を決行。その驚くべき「服9割減」の収納大整理模様と、「捨てることで得られるもの」について、著書から一部抜粋してご紹介します。

服を9割減らした先に何が起きる?

何しろ私、自慢じゃないが筋金入りの洋服バカ。服を買いまくりたいために働いてきた女といってもいい。さらには、会社員時代は年功序列という昭和なシステムのおかげで引っ越すたびに収納たっぷりの家へと住み替えてきたので断捨離など考えたこともなし。際限なく服をため込みウッシッシと生きてきた。

そんなヤカラでも、追い詰められれば「9割減」という偉業を達成することができたのである。つまりは誰だって「やればできる」のだ。要は、やるかやらないか。もっと言えば、全ては「やる気」の問題なのではないだろうか。

言い換えれば、多くの人が断捨離に失敗するのは、なんだかんだ言って「服を捨てたくない」気持ちを捨てられないのである。だっていくら部屋がスッキリしても、服を捨てたその先の人生は一体どうなるのか? 人生を輝かせたいと思って一生懸命服を手に入れてきたのだ。ならばそれを捨てた先の人生は……普通に考えて、全然「輝く」気はしないのが普通であろう。それではイマイチやる気が出ないのも当然すぎるほど当然である。

なのでまずは何よりも、捨てた先の私に一体何が起きたのか、人生どうなっちゃったのかをお知らせせねばなるまい。

おしゃれとは「服を沢山持つこと」なのか

結果を一言でいえば、これもまあ驚いたことに「どうってことなかった」のである。私が人生でずっと大事にしてきたこと、つまりはおしゃれが大好きで、どんな日も最高の服装で過ごしたいということにおいては一切の変更なく今に至る。

念のため申し添えれば、他人様にも「9割減」の前と後でイナガキさんのイメージが変わったと言われたことは一度もない。もしかすると言いたくても言えないだけかもしれないが、恐らくそんなことでもないのではないだろうか。

だって、今も初めて会う人にはよく「イナガキさんっておしゃれですね」と言われるのだ。むろんお世辞であることは十分承知しているが、それでもそう言っていただけるということは、客観的におしゃれかどうかは別として、「おしゃれに興味がある人間」「頑張っておしゃれしたいと思っている人間」と認定していただいているのではないかと思う。

ま、考えたらこれまでだって同じことだったんだろう。これが一体どういうことかと言いますと、これは案外知られているようで全く知られていない事実で、私もいざ自分がそうなってみるまで全く知らなかったんだが、その人がおしゃれかどうかは、その人が持っている服の数とは何の関係もなかったらしいのである! 

……いやー、びっくり。私はずっと、おしゃれな人とは服をたくさん持っている人のことだと思っていた。でもよくよく考えてみりゃ確かに、んなわけないんである。だっておしゃれな人って結局のところ、その人に「よく似合っている」服を着ている人だ。

で、私は9割の服を捨てた時、当然ながら、何を捨て何を残すか悩みに悩んだ。その断腸の決断にあたり、全ての服を実際に着てみた。残せる服が少なすぎるので「高かった」とか「まだあんまり着てない」とかそんなヌルイことを言うてる場合ではなく、「一点の曇りもなく似合っていると思えるか」を厳しく服と自分に問うたのだ。

そして残った1割の服を毎日のように着てるんだから、そりゃ「おしゃれな人」であって当然だ。こんな当たり前のことに気づくのに半世紀もかかってしまった。

今日も元気で頑張ろうと思えれば「おしゃれ」

これまでたくさんの服を着てきたことは、それはそれで楽しかったことは間違いない。

でもあのままどこまでも服を買い続けていたら、私は間違いなく破綻していただろう。何年も着ていない服、存在すら忘れている服は山ほどあった。考えてみればそれは当然で、いくらイケてる服をたくさん持っていても着る人間は私一人。そして泣いても笑っても1年は365日。一人の人間が着られる服なんてどうしたって限りがある。

なのに毎シーズン毎シーズン、まるでそれが義務であるかのように、新しい服を買い続けていた私は一種の狂人であった。一体なぜそんな明らかに不合理なことがやめられなかったのだろう。

今にして思えば、私は服を買うことで「もっとすごい私」になりたかったのだと思う。今持っていない新しい服を着ることで、今の自分をバージョンアップ、あるいはリニューアルしたかった。逆に言えば、そうして自分を「盛って」いなけりゃ世間に認められないと信じ込んでいた。私は今の私のままじゃダメなんだと思っていたのである。

服を手放してみて初めて、そんなことはないと知ったのだ。私は私のままで大丈夫だった。毎日同じ服を着ていようが、自分さえ心地よく満足でいられたら、背筋を伸ばして機嫌よく笑顔でいられた。そう肝心なのは本当はそこだったんだ。

自分は自分であって良いのだと思えること。欠点も至らぬところも多々あれど、そんな自分として今日も元気で背筋を伸ばして生きていこうと思えること。そうだよそれこそが「おしゃれ」の目的なんじゃないだろうか?

それは洋服を次々と買い続けなくたって、ちゃんと達成できたのだ。いやむしろ、今ある服を減らしまくって究極の服だけを残したことで、間違いなく達成できたのである。

買い物こそが最大のムダな家事

となると、一日の中で服のことを考える時間がいきなり消えた。だって、私にはもう新しい服の情報など必要ないのだ。それまではなんだかんだと絶えず最新の服の情報をチェックし、ちょっとでも暇があれば店を覗いて物色し、あれも欲しいこれも欲しいと思い、そのためには歯を食いしばって金を稼がねばとストレスに耐えてきた。

その一切がなくなったんである。

いやはや、愕然としたね!だっていざそうなってみたら、私がそのことの一切合切にいかに膨大な時間とエネルギーを費やしてきたかに驚くしかなかった。だっていきなりの余裕!有り余る自由時間!私の人生はいきなりバージョンアップしたのである。

これをまとめますと、私は服を9割捨てたことで、おしゃれ心は一切捨てることなく、膨大なお金とエネルギーを生み出すことに成功したのだ。

そう改めて考えると、「買い物を減らす」ことの価値に改めて気づかずにいられない。みなさん家事というと、炊事洗濯掃除って思ってるかもしれませんがね、現代人が最も時間とエネルギーを費やしている家事は間違いなく「買い物」だ。買い物って立派な家事ですよ。これを省力化せずに何を省力化しようというのか。

「ここではないどこか」を探し続ける不毛改めて考える。我らはなぜこれほど買い物をしまくらずにいられないのだろう。次々と新しい服やら便利グッズやらを、膨大な時間とお金をかけて手に入れ続ける人生。それは全て、ここではないどこか、今じゃない未来に楽園があると信じ続けているからこその行動だ。

この行動パターンには決して終わりがない。なので、我らの人生は常に「時間がない」のである。自分は自分のままでダメなのだ、もっと何かを手に入れなければ幸せにならないのだと考え続けていたら、人生の時間はどこまでも足りず、一生は買い物で始まり買い物に終わることになろう。

ひいてはお金の悩みも生涯ついて回ることになろう。でももし、ここで良いのだ、自分は自分で良いのだ、自分はすでに全てを手に入れているのだと思うことができたなら。それだけで、人生は間違いなく一変する。有り余る時間とエネルギーを使って、本当にやりたいことをどこまでもすることができる。

なのでその第一歩を踏み出すか踏み出さないかは、人生において真に決定的な出来事なのではないでしょうか。

で、踏み出すためにはどうしたらいい? 私が熱くお勧めするのは、まずは服を9割減らすことである。服を減らすことは、自分を見つけること。欠点も美点もある自分をまるごと認めて、その自分を自分で愛し生かしてあげること。それができれば、あなたはもう何も探さなくていい。ここではないどこかではなく、今ここを存分に楽しめば良いのである。

稲垣 えみ子

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