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職場のウェルビーイングを考える (5) - スイミーで考える「犠牲にならない」フェアな社員とは/おおばやし あや

INSIGHT NOW! / 2016年1月18日 7時7分

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おおばやし あや / SAI social change and inclusion

連記事:職場のウェルビーイングを考える (1) - 人を活かし、組織も活かす / (2) - 「今、できること」に焦点を当てる / (3) - 自己表現の機会を / (4) - フェアな組織であること

前回は、従業員に安心できる環境を提供し、自分の意志でもって高いパフォーマンスを発揮して働いてもらう、『社員を活かせる組織である』ために組織と人の間に適切な距離が必要で、そのために企業と従業員の関係がフェア(公正)であるべきということ…精神論ではなくあくまで労働者の権利を守り、環境を改善していく立場を取るのがもっとも現実的である、と述べさせていただきました。そして今回は、「フェアな社員であること」について考えてゆきたいと思います。


ウェルビーイングをめざせるフェア(公正)な社員であることというのは、「ただ言いなりになる」「会社のために犠牲になれる」ことではありません。

客観的な目を持って行動し、組織の利益と個人の幸福を同時に目指せること、もっと言うなら「会社の目的と全体像を把握し、自分がその一部であることをしっかり理解し、自分の力を活かすことを通して組織に貢献しつつ、自分の幸福も目指せること」です。

文章ではピンとこないかもしれませんので、多くの方がおそらく小学校のときに目にしたことがあるであろう、不朽の名作「スイミー」のシーンで例えてみます。

あらすじ:スイミーは小さな黒い魚の名前。ほかのきょうだいたちは真っ赤なのにスイミーだけが黒いのですが、みんなで海の底で幸せに暮らしていました。しかしある日、大きなまぐろが、泳ぎの早いスイミー以外のきょうだいたちを食い尽くしてしまいます。命からがら逃げたスイミーは一人旅を経てこころの成長を重ね、また新たなきょうだいたちに出会います。もう二度ときょうだいを失いたくないと思ったスイミーは、まぐろよりももっと大きい魚影をみんなで作ること、まっ黒な自分が目になることを提案し… 
(レオ・レオニ作 「スイミー」 )


スイミーから考える社員のフェアさ キーワード

① 全体像を把握する

② 犠牲にならない

③ 自分の頭で考える


① 全体像を把握する

まずは、組織の全体像、その進む方向を自分のことのように理解することが重要と言えます。そして全体の「目的」、それを支える「目標」を最重要事項として、自分に何ができるか考えます。図の中でスイミーは自分自身でもあり、また大きな魚の一部でもあるという共存が成立しています。

企業理念を納得した上で会社を選び、会社からも自分を選んでもらい、組織の目的のために働き代わりに給与を得るという雇用契約を結んだのですから、もちろんそのために尽くすことが大前提です。もし会社の目的が途中で納得できなくなったのであれば、退職するか、それを変えるような働きをすべきですが、別の話となるのでここでは語りません。

そして組織の最大のポテンシャルを引き出すためには、個人(スイミー)と組織(小魚の集団、魚影)の目的が合致していなければなりません。この場合の目的は「みんなで生き残り、幸せになる」ということです。より大きくてリアルな魚影に見えるよう共通意識を持ち、それぞれの赤い小魚たちも役割をまっとうし、団結したからこそ成功しました。もしここで、自分ひとり生き延びたい、というような「違う目的を持つ」小魚が出現した場合、バランスを崩し全滅してしまうであろうことは想像に難くありません。

会社に通い、求められる仕事をし、毎月数十万の給与を分配される。その源となる「全体の動き」の目的は何で、社会的意義はどんなもので、利益はどういう流れで生まれているのか。誰がどう働いてどう貢献し、外部の要素とどうからんでいるのか、そして自分は全体像の中でどんな役割を果たしているのか…

この概念を一人一人が理解することなしには、能力と社会貢献度、持続性の高い組織は実現不可能で、結果会社が持続しなければ、もちろん個人も収入のもとを失います。そこで、自分ひとりきりで働いて会社に属しているのと同じような額を、毎月毎月安定して得られるという状況を想像してみてください。一体どんな超人がどんなミラクルワークをすれば、退職の翌月からそれが可能でしょうか。

会社の見る方向を全く理解できない社員は、無意識に減速をかける、言ってみれば非常に迷惑な存在です。どういう経緯で今自分が日々働き生活していけているのかをわかっていない、何が重要なのかを理解していないということで、何をしでかすかわからない脅威でもあります。

結果、不要な残業で「おこづかい稼ぎ」をしたり、経費や備品の私的利用、顧客の個人情報を調べて暴露したり、店に来た芸能人をtwitterで暴露したりして組織に害を与える…ネットの発展で近頃はいろいろな不祥事を聞きますが、年代がどうとか、教育マニュアルが徹底されていないというよりも、全体像と、自分の役割がわかっていないという根源的な問題であると思います。そしてこれらの例のように、「違う目的を持つ小魚」はそれ一匹でも全体に大打撃を与えうるというのは、簡単に想像できます。

会社の目的のために働き判断ができ、利己的な楽しみなどのためには動かない、ここはそういう意味でも「フェア」です。そして当然ですが、全体像、目的を明確に理解していなければ、それに貢献するための力の発揮をしようもありません。「みんなで生き残り、幸せになる」という強い目的を共有していなければ、スイミーは黒い自分を活かして「目になる!」というクリエイティブなアイデアを生み出し輝くことも、自分が仲間の役に立てるという誇りを得ることもできなかったでしょう。


日本で流行しているアドラー心理学、心理学者アルフレッド・アドラーは、「自分」という概念は集団の中でしか発生しないことから、人の悩みも幸福も対人関係にあり、幸福のための三つの条件は以下だとしています。

・自己受容…自分の存在には価値があり、自分には他者に貢献できる能力があると信じる
・他者信頼…チームメイトは敵ではなく、前へ進む仲間であると理解する
・他者貢献…与えてもらうだけでなく与えること、自分が全体に影響しているのだと分かる
(参考:岸見一郎「アドラー心理学入門」)

これらのためには、「全体意識」「目的意識」が不可欠です。現状、社内に問題が多いようなら、全体の組織図、業務フロー、キャッシュフローなどを図にして、全体の目的と、個々の役割を再度確認するのも良いかと思います。



② 犠牲にならない

会社の目的や利益を最優先に考える、ということではありますが、決して「自分を犠牲にする」ということではありません。むしろ逆で「犠牲になってはならない」のが②のフェアさです。自己犠牲的な社員も、結果的には「発展できる持続可能な会社」の障害になります。もしスイミーが自己犠牲的だったら、何が起こるか想像してみましょう。


「もしスイミーが自己犠牲的だったら」

もしくは

自分が目の役になることを提案し、言ってみれば最強王者の恐ろしいまぐろに立ち向かう決意をし、勇気を出して戦い勝利したスイミーと、安易に自分を犠牲にしてしまうスイミーとでは何が違うのでしょう。きっと、「みんなで生き残る」という強い目的を理解していたことのほかに、「自分を知っている」「誇りを持っている」ということが言えるのではないかと思います。

スイミーは、上に挙げた「自己受容」…”自分の存在には価値があり、自分には他者に貢献できる能力があると信じる” 力を持っていたので、自分を活かすために必死で考え答えを出し、実行する勇気を持てました。みんなのために何かをするとしながらも、自分であることも捨てない、むしろそれを活かして共存する、なかなか難しいことです。思い切って自分が身を挺してしまったほうが…と思えるときもあるでしょう。

しかし上の例で言えば、スイミーが己の身を投げ出すと仲間たちは一度は逃げきれるため、一見何かを為したようではありますが、じつは「誰かが犠牲にならなければならない」構造を作ってしまうことで、次は誰かがそれをやらなければならなくなってしまうのであり、結果的に全体にとって利があるとは言えません。

その視点がフェアさのヒントになると思うのですが、例えば「サービス残業を強いる組織」は構造的に問題があり、今自分がちょっと我慢をすれば場がおさまるということは、長期的にみて組織にも自分にも良い行動ではないということが想像できるかと思います。

共栄共存のゾーンを意識し、自分のためにも組織のためにもならないことには毅然とNOを言う、改善を提案して動く、そういう勇気ある人間が内部にいたことで崩壊を免れた組織は、じつはたくさんあるのではないでしょうか。

労働基準法、労働契約法などには、「労働者と使用者が対等な契約を結ばれること」と何度も書いてあります。前回のフェアな組織論で触れましたが、労働者と組織はそのままで同じ力を持っているという意味ではなく、労働者が弱い立場であるだけ、法などで守られているという意味で対等です。

(組織Aと個人Bが対等であることをあらわす図:水色が労働者を守るための雇用契約、安全と衛生ののための法律や、労働組合を作る権利を意味します)

自分から身を投げ出すのではなく、「自分と組織は対等である」という意識を持ち、自分の尊厳と権利を手放さず「会社の目的のために」フェアであること、自分の役割がなければ会社は成り立たないので責任を持って動くが、共栄共存の意識は常に持つということが必要です。


③ 自分の頭で考える

そのためには、「やらされている」ではなく、自分の頭で考えなくてはいけません。もし組織ぐるみで「考えるな」という会社があれば、それは人が働く意味のないところで、組織とは言えません。自分を守り、すぐさまそこから逃げましょう。どんな状況でも考えることをやめなければ、おかしいと気づけるはずです。

スイミーたちは、現状を打開するために、今までにないアイデアを生み出し生き延びました。きっとこれからも同じ方法で生きてゆき、新しい問題にぶつかったときもまた乗り越えていくのでしょう。

「自分の仕事じゃない」「そんな役割じゃない」「考えるのは上のやること」「誰かが決めてくれるはず」これを誰もが思っていると、当然組織は鈍くなってゆきます。自分は組織の中の対等な一部であり、欠かせない存在である。自分にできることをし、目的のために役立たなければ、共倒れになるのは明らかです。

水を張った鍋にカエルを入れ温めると、カエルが知らずのうちに茹で上がる「茹でガエル」というたとえがありますが、自分自身が気づき、考えて動かないかぎり、私たちはゆっくりとした破滅に向かいます。何も考えないことは怠けで、自分の幸福を手放すことでもあります。(私事ですが、起業家のはしくれをさせて頂いて実感したのは、あ、わたし考え続けないと死ぬんだな。ということでした。正直スリル満点です)

例えば会社に虐げられていると感じている、対等でない、そこまでわかっているのならば、お互いの最終的な利益、自分の自由と尊厳のためにも動かなければなりません。不当に我慢をし続けることで何かを為していると思うのはまやかしです。自分の人生は自分のもので、何かの犠牲になるために苦労して学び、人生を送ってきた人はいないでしょう。仕事や誰かのグチを言いながら飲む、ある程度は楽しいですが、前進にはなりません。決定的欠陥があるのであれば気づき、どうにかするために行動するというのは、ある意味組織の存続のために雇われた労働者の数少ない義務のひとつであり、自分の幸福、尊厳や権利を手放さないための責任でもあると言えます。


赤い仲間の中でひとりまっくろで泳ぎが早い、スイミーがスイミーでなければならなかったように、自分も自分でなければなりません。そして自分自身であるということは、目的のために考え、自分にしかできないことを提供するということです。

仕事を覚えるまで「習う、従う期間」というのはあるかもしれませんが、それでも考え続けることは必要です。ただの言いなりが求められているのならば、機械でもなく他の人でもなくなぜ自分が採用されたのか、視点を高くし全体を見渡して想像してみてください。

「自分でなくてはならない理由」が必ずあり、「自分は組織に必要な人間」なのです。自分は自分のままで、組織の目的を自分のことのように考え、自分にできることで役立つことで、金銭だけでなく成長、喜びや幸福を得られることができます。そのためには恐らく反発や障害もあるでしょうが、組織を発展させ自分も高められる人というのは、その勇気を込みで目的意識と実行力のある人のことでしょう。


メンバー同士のフェアさ

もちろん、今回のスイミーのように率先して動く人もいれば、それをサポートする人もいるのが自然です。サポートの立場である時も同様に、自分の役割と貢献を自覚していれば、目立つ目立たないに関わらず同様に喜びや達成感を得られるはずです。要は「自分を知り、自分のままで役に立てるかどうか」なのです。

まぐろを追い払う局面ではスイミーが目立っていますが、尾びれを本物っぽく振って見せるなど、それぞれが自分の役割を理解してまっとうしているのであり、ドラマにどんな役も欠かせないように、全てが重要な存在です。別の局面では今度はスイミーは裏方に徹することもあるでしょう。日々の小さなタスク、プロジェクトの目的によって役割は随時変わりますが、同じ目的を共有して協働している限り、チームの中では全てのメンバーがフェア、対等です。

誰もが影響しあいながら共に目的に向かって進んでいく、お互いを欠かせないメンバーとして認識し、自分は自分の能力を理解して役割を果たすよう努める、その動きの中に「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」全ての三つが入っており、職場でのウェルビーイングに、この仲間同士のフェアさも欠かせません。


まとめ

以上が、フェアな社員であることを通した個人のウェルビーイング、「会社の目的と全体像を把握し、自分がその一部であることをしっかり理解し、自分の力を活かすことを通して組織に貢献しつつ、自分の幸福も目指せること」です。

「わたし」というものは他人がいる状態でなければ発生しないもので、会社組織というものも「わたし」であるための場です。組織が必要とするのも、「わたし」を活かして目的に貢献できる人間です。そこで能動的に考え動けるかどうかで、自分であることの価値が増し、人の役に立てることでやりがいや喜びが得られるはずです。

「個と全が共存する」「自分を活かして組織に貢献する」はスイミーの例でみられるように、決してありえない状況ではありません。むしろ個が犠牲になる道を選ぶほど、全は破たんしていきます。構造的に成立しないのです。大きな組織では気づきにくいかもしれませんが、従業員だれもが欠かせない大切な存在であり、目的のために自分の頭で思考することを求められています。

もし「考えるな」「犠牲になれ」という組織であるのなら、それは自滅を待つだけの持続しえない集団であり、信頼をして貢献をするだけの価値は全くないので、この話以前に退職をすべきです。

会社員でもあった自分として、挙げさせて頂いたことの実現は、とても難しいとわかります。特に日本では、組織内の複雑な力関係、年齢や地位などの要素が、これらを明らかに阻害します。けれど確かに言えるのは、社会の中で仕事をして、自分が「金銭的なことだけでなく」幸せになるために、人としての喜びのために、これらのことを考えてみる価値はきっとあるはずだということです。

① 全体像を把握する

② 犠牲にならない

③ 自分の頭で考える


自分もかなり考え続けてきたことなので、長くなってしまいましたが、こうして書けたことが有難いです。次回も、関連する事柄について書いていければと思います。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


関連記事:職場のウェルビーイングを考える (1) - 人を活かし、組織も活かす / (2) - 「今、できること」に焦点を当てる / (3) - 自己表現の機会を / (4) - フェアな組織であること

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