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「生ドーナツ人気」をブームで終わらせるのはもったいない、これだけの理由

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年4月17日 6時55分

●既に「終わり」を見据えている関係者もいるが……

 さて、このような景気のいい話を聞いていると、心配になる人も多いだろう。冒頭で紹介したように、ブームでこの世の春を謳歌(おうか)している企業や事業者ほど、ブームが終わったときのダメージが大きい。脱サラしてタピオカミルクティー店を始めたが、ブームが去って残ったのは借金だけ、という悲劇もよく聞く。

 実際、当事者も「終わり」を見据えている。『毎日新聞』(4月13日)で取材に応じた「生ドーナツ店関係者」は、こんな切ないことをおっしゃっている。

「末永く愛されたいが、ブーム終了も見据えて初期投資を短期間で回収できるように、出店方法や運営を工夫している」

 多くの人がそう不安に感じるのは「前例」があるからだ。15年ごろもメディアが「ドーナツブーム」を煽(あお)った。大手コンビニ各社はレジ横にドーナツコーナーを設けたが、売り上げはそれほどでもなく1年ほどで撤去されてしまったのである。今回の「生ドーナツブーム」もあのときのように「騒いだわりにパッとしなかった」で終わってしまうのか。

 いろいろな意見があるだろうが、筆者はやりようによってはそのような未来を回避できると考えている。それどころか、うまくいけば生ドーナツを「日本の食文化」の1つとして観光資源などにしていくことも夢ではないとさえ思う。

 「ずいぶん大風呂敷を広げるじゃないか」と失笑する人も多いだろうが、これにはちゃんとした理由がある。

●日本人は大正時代にもドーナツを食べていた

 実はドーナツは、これまでブームになってきたティラミスやらマカロンやらカヌレやらという「輸入スイーツ」とは根本的に違うところがある。それは「120年前から続く日本の伝統菓子」ということだ。

 「ミスタードーナツ」や「ダンキンドーナツ」のイメージがあまりにも強いためか、ネットやSNSで「1970年代にミスタードーナツとダンキンドーナツが上陸したことで日本にドーナツが入ってきた」という説明をしている人も多いが、これは誤りだ。

 実はドーナツは明治時代に「現地化」に成功した日本の食文化なのだ。

 例えば明治36年(1903年)、村井弦斎の小説『食道楽』には「ドウナツ」が登場する。他にも明治や大正にかけてさまざまな物語の中に、家に行った客人が「ドーナツをどうぞ」と勧められるシーンがよく描かれている。なぜかというとこの時代、ドーナツは各家庭でつくられる「日本の手作り菓子」だったからだ。

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