着物の「脱恐竜化」目指す 京都の老舗「小田章」5代目が語る、120年目の事業転換
ITmedia ビジネスオンライン / 2024年10月26日 9時0分
1980年代にはデザイン性にこだわった「DCブランド」がはやりまして、着物業界でこれを始めたのは当社でした。辻村寿三郎という異業種の作家とコラボした商品もヒットさせ、小田憲は着物業界のパイオニアだったと思います。私も、父の姿勢を高く評価しています。
ただ業界からの風当たりは、相当に強いものがありました。当時の発表会の様子を録音したカセットテープが出てきて、私も聞いたことがあるのですが、全国の小売店からは「こんなものが着物で受けるわけがないじゃないか」と非難囂々(ごうごう)だったのです。しかし、その後「ジュサブロー着物」は一世を風靡していきます。今でもこの着物にこだわる人がいるくらいですね。
――1970~80年代は業界の市場規模も大きく、勢いがありました。その後、バブル期を経てどのように変わっていきましたか。
バブル期ならではの事情が重なり、3代目の祖父が亡くなったころに、多大な借り入れができていました。当時はお金を借りることも容易だったんでしょうかね。決して当社の規模で借りられるような額ではなく、加えて将来成長、発展が期待できる市場でもないはずなのに、多額の借り入れができてしまったようでした。その後、バブルが崩壊すると不動産価値も下がり負債だけが残ってしまったわけです。これが私の代の経営にも尾を引いてしまうことになりました。
不動産価値が下がり、さらにバブル期以降、着物業界も衰退しました。こうした中でバブル期の負債をいかにして返していくか。先代の父と、私にとっての経営課題になったわけです。
そこでバブル崩壊以降に当社で進めたのが「ジュサブロー着物」以外のコラボ路線だったり、レンタル着物業を始めたり、飲食店の経営に乗り出したり、IT部門に投資をしたりといった経営の多角化でした。
――業界では珍しくIT部門に投資をしたのですね。どんなことに取り組んだのですか。
1990年代から2000年代初頭くらいでしょうか。Webサイトなどといった言葉すら分からない時代からITには積極的に投資していました。呉服業界でも早い方だったと思います。まず着物のECサイトを始めて、5~6年は本格的に続けましたが、少し早すぎたのかもしれません。当時「Webで着物は売れるものではないな」と思いました。今では着物のECサイトが増えてきたものの、売れ行きを見ている限りでは「今でも難しい」と判断しています。
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