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「映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記」レビュー 2年続けて「最後で台無し」の恐怖

ねとらぼ / 2024年8月24日 19時0分

 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」のラストでは、悪役の2人は自ら死を選ぼうとしていた一方で、しんのすけはそれを実は「楽しいバンジージャンプ」だと勘違いして「ズルいぞ!」と言っていた。つまりは「大人の自己完結している勝手な選択」なんて知るよしもない子どもの「純粋な気持ち」があって、さらには平和の象徴のハトの飛翔も加わり、2人は救われたのだ。

 対して「恐竜日記」ではまだ5歳のしんのすけに、「凶暴化してしまう大切な友達を殺そうとする大人」の残酷な選択を認識させた上で、(おそらくはオマージュ台詞を優先したいがあまり)ズレたことを言わせてしまっているのだ。これでは、「過去の名作映画の名台詞をただ言わせただけ」だ。「オトナ帝国」の何を見ていたのだろうか?

 この他も「目配せ」が表面的すぎて、「クレヨンしんちゃん」のファンであればあるほどにむしろがっかりしてしまう場面が続く。

 しんのすけと風間くんが「お尻歩き」をするのは「嵐を呼ぶジャングル」からだろうが、そちらに比べてお尻歩きをする必然性がなさすぎる。人気キャラクターでありながらも劇場版での活躍が少なかった「酢乙女あい」の登場そのものはうれしいのだが、はじめにチケットをあげるお金持ちとしての役回りだけで、その後の活躍はない。

 「売間久里代」や「四郎」といったキャラもとりあえず出しただけに思えて、他の準レギュラーキャラが終盤で戦いに参加する様になんの感慨もない。「クレヨンしんちゃん」映画のファンだからこそ残念に感じるだけでなく、純粋に展開が強引で、強い違和感を覚える内容となっている。

 なお、劇場パンフレットで、佐々木忍監督は「しんちゃんワールド特有の、ほのぼのした中にたまにあるピリリとした隠し味が好きだったんです」、脚本家のモラルは「いろんな方の挑戦的な思いっていうモノがテレビでも映画でも観るたびに伝わってくるので、そういうところが好きですね」と語っている。なるほど、確かに「ピリリとした隠し味」「挑戦的な要素」が過去作で効果的に用いられることはあったが、残念ながら本作のそれは終始ピントがずれてしまっていた。

●ナナは絶対に死なせてはならなかった

 怒りと悲しみが頂点に達したのは、恐竜のナナが最後に死ぬ展開、さらにしんのすけたちかすかべ防衛隊のみんなが泣く姿を正面から映すことだ。

 前述した通り、この直前には「人間と恐竜は共存できない」という問題提起がされ、恐竜のナナを生かすのか殺すのかという重い選択に迫られる場面がある。さらには「子どもの未来は明るいのか」という「しん次元」にも通ずる問いかけと、「子どもは親の見ていないところで勝手に成長する」とのメッセージも掲げられている。

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