1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. IT
  4. ネットトレンド

「映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記」レビュー 2年続けて「最後で台無し」の恐怖

ねとらぼ / 2024年8月24日 19時0分

 さらには、「アンキロサウルス」が登場したかとおもいきや、体が小さくて「3キロサウルス」と呼ばれたりする。こうしたダジャレを3回も繰り出し、「モーニング娘。」の楽曲で恐竜たちと踊るくだりは大人向けのギャグだとしても浮いてしまっている。もはや恐竜への愛情がないどころか、バカにしているようにすら思えたのだ。

 加えて、「クレヨンしんちゃん」映画の大きな魅力であるはずの「アクション」が物足りないものショックだった。キャラクターが1人ずつ「段取り」的にあっさりと恐竜を倒していくのは「作業感」があってテンポが悪く、アニメーションとしても躍動感がなく面白みに欠ける。かろうじてひねりが感じられたのは、みさえの「お尻のデカさ」をロボットらしく「分析」した上で倒す様くらいだろう。

 また、この街で恐竜が歩き回る事態に自衛隊や警察はどうしているのかと疑問に思っていると、そちらはまさかの「さすまた」を手に攻撃しようとしてすぐに逃げるだけ、という光景には目を疑った。もはや最低限のシチュエーションの説得力すら放棄している。作り手は「爆発!温泉わくわく大決戦」における戦車の出撃シーンを100回見て反省してほしい。

●ヤケクソを超えて意味不明な悪役の行動

 悪役の行動もひどい。いや、そもそもの問題提起は悪くはなかったのだ。「次々に来る要望に応えようとして大切なことを見失う」というバブル・オドロキーの過ちは、誰にでも起こり得るものだ。また、インフルエンサーに過度な信頼や期待を抱いたり、不祥事が発覚した際に世間が手のひらを返す様子は、SNS時代において非常に共感できるテーマでもある。

 ただ、その後のバブルの行動は支離滅裂だ。「恐竜がロボットであるとバレる前に本物の恐竜のナナを手に入れようとする」のであればまだ筋は通っていたのが、序盤で全てが世間にバレた上で世界征服的な行動に打って出るため、ヤケクソにしか思えない。おまけに劇中でもそういった指摘がされるので、初めこそあった悪役としての魅力も完全に消滅してしまった。最後に記者から質問されてバブルが何も答えなかったのは、作り手も彼に興味がなくなったからではないかとすら思えてくる。

 もはや、「恐竜は本物ではなく実はロボットでした」という事実が、この「恐竜日記」という作品の「『クレヨンしんちゃん』映画のガワだけを取り繕ったニセモノ」「これまでの名作の感動ポイントの上澄みだけをすくっただけな出来」を、メタフィクション的に示しているようですらある。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください