[神津伸子]【代打の切り札 勝利を呼ぶ男】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 7~
Japan In-depth / 2015年7月30日 7時0分
どうしても間近でその王の様子が見たくて、あわよくば自分も習いたくて、当時、王と二人三脚を組んでいた打撃コーチの荒川博の家の門を叩いたこともあった江藤だった。
「王さんは、努力する様が見える天才。長嶋さんは感性が半端ではなかった。していただろうけど、努力しているように見えないタイプだった。野村さんや森さんは、本当に沢山の本を読んでいる理論派だった。今、思えば、自分には当時、そこまで出来なかった」
そのためか、転機は早く来た。
「"女神"呼ぶ代打男・江藤」バット1本に賭けたプロ人生。兄・愼一とのホームラン競演の試合が、最も思い出に残るシーンだ。
1969年、中日ドラゴンズに移籍。最初はレギュラーにも起用された。定位置は5番セカンド。満塁など、好機に強かった。スタメンが知らされるのは、当日。与那嶺要監督から「今日、行け!」と、実にシンプルに言われるだけだ。が、次第に調子が落ちて行き、「よかったのは、その年の5月2日頃までだった」
二塁手には、当時、高木守道がいて、レギュラーポジションは獲れなかった。ならば、バット1本で勝負してやろうと。代打の切り札を、目指し、実現した。当時の新聞には次のような見出しが次々と並んだ。
「"女神"呼ぶ代打男・江藤」、「代打江藤また快打」(中日スポーツ)
「代打江藤のニラミ千金」(中日新聞)、
「乗りに乗る江藤 打てばヒット、代打10割」(同)
「江藤"ひと振りに"専心」(名古屋タイムズ)
などなど。
嬉しかった。
中でも忘れられないひと振りは、1973年4月18日、川崎球場での中日VS大洋(現・Dena)の、兄・愼一との競演アーチ。
この試合は大洋が先取点を取り、中日が逆転とシーソーゲームだった。6回裏に兄が中日・水谷寿投手から4-3とリードするソロホームランを放った。このまま勝負が決まれば、江藤愼一はお立ち台で、ヒーローインタビューの予定だ。が、最終回、省三は与那嶺要監督に呼ばれた。
「代打、江藤」
「痺れましたね」(江藤)
好投を続けていた大洋のリリーフ、平松政次。2ストライク2ボールからのスライダーを振り抜いた。打球はレフトを守る兄の頭上を越えて、左翼席中段へライナーで飛び込んでいった。
兄には、慶應の学費も出して貰っていた。いい恩返しが出来たと思った。大洋のロッカールームでも
「あいつが、オレのヒーローを帳消しにしやがった」
と、愼一は悔しがっていたという。
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