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[神津伸子]【代打の切り札 勝利を呼ぶ男】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 7~

Japan In-depth / 2015年7月30日 7時0分

兄は、現役中に3回、首位打者を獲得した。長兄だったから、その稼ぎで、3人の弟たちの大学の学費を負担し、卒業させた。残念ながら、2008年に亡くなり、自分が再度、慶應のユニフォームを着たのは、見てもらえなかったのが、悔いが残ると省三は言う。

その後も、省三は代打に命を賭け、1972年には通算打率3割まで伸ばした。が、76年には、心身共に限界を感じ、引退を選択した。
引退を選択した理由は、いくつかあった。
当時の選手たちの引退のタイミングの平均が34、5歳で、自分もその年齢に達したこと。何より、調子が上がって来ても、一軍に引き上げられることがなかった。

通算11年の通算成績は、464試合、打率.267、65打点、12本塁打。

(8につづく。

【“24の瞳”少年・高校球児を指導する男】〜「野球は人生そのもの」江藤省三物語 1~
【誰にでも甲子園はある】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 2~
【教え子の一言に「ふるえた」。】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 3~
【教えは受け継がれてゆくものだから】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 4~
【甲子園春夏出場 父・兄の背中を見て始めた野球】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 5~

【輝く時 慶應義塾大学野球部選手時代】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 6~
も合わせてお読みください)

 

<江藤省三プロフィール>

野球評論家。元プロ野球選手(巨人・中日)、元慶應義塾大学硬式野球部監督熊本県山鹿市生まれ。
会社員(父は八幡製鐵勤務)の四人兄弟の三男として誕生。兄(長兄)は元プロ野球選手、野球殿堂入りした愼一氏。
中京商業高校(現中京大中京)で1961年、甲子園春夏連続出場。同年秋季国体優勝。
卒業後、慶應義塾大学文学部に進学、東京六大学野球リーグで3度優勝。4季連続ベストナイン。

63年、全日本選手権大会で日本一となる。
65年、ドラフト元年、読売巨人軍に指名される。
69年、中日に移籍。代打の切り札として活躍。76年引退。
81年、90年から2度巨人一軍内野守備コーチ。

以降、ロッテ、横浜でコーチ歴任。
解説者を経て、2009~13年、慶應義塾大学体育会硬式野球部監督。
10・11年春季連続優勝。
この間、伊藤隼太(阪神)、福谷浩司(中日)、白村明弘(日本ハム)のプロ野球選手を輩出。
14年春季リーグ、病床の竹内秀夫監督の助監督として、6季ぶりに優勝に導く。

*トップ写真:勝利の女神が微笑む”代打男”の活躍にファンは興奮した。
*文中写真:当時の活躍ぶりを報じる新聞をきちんとファイルして保存するマメさも、江藤の指導力につながっている。


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