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「故郷が台湾である私は日本で異邦人だった」 失われた故郷「台湾」を求める日本人達 湾生シリーズ1 家倉多恵子さん

Japan In-depth / 2016年11月21日 18時0分

花蓮には砂浜があって、蛸穴が掘ってありました。敵が上陸するときは手榴弾をもって蛸穴に隠れていて、戦車が上をとおるときに手榴弾を投げろと言われました。15歳の女学生なので、死ぬということも、いま一つ意味が分かっていませんでした。だから、蛸穴に入る時は家からお菓子もっていき、気軽に歌を歌っていました。

野嶋:家倉さんにとって故郷とは何ですか。

家倉:私は、日本人ですが、故郷は台湾だと思っています。故郷といっても二通りあると思うんです。台湾にくれば風や太陽の暑さ、山の高さをみて、「ああ、ここが故郷だ」と感じます。敦賀の山は900メートルしかありません。引き揚げたとき「お父さん、これは山なの、丘なの?」と聞いた覚えがあります。でも、東台湾では目の前に台湾山脈がそそり立っていました。

この埔里にいると、お客さんがたくさん来ます。パーティーや食事の約束で一杯になるので、「家倉さんをご招待できるのは何番目?」と聞かれたりします。毎日が楽しいです。日本にいたら考えられない生活です。でも、私は70年前の日本と台湾との間の差別をかなりしっかり覚えています。だから、戦争が終わったら、私たちが台湾人からばんばん石を投げられて、危ないからと村長さんの離れを借りて住んでいました。負けたっていうことで、差別があったことで日本人を恨んでいた人もいるのでしょう。だからなおさら、いまはまったく50対50のフラットな付き合いがしたいと思っています。

台湾の方々は私からするとみんな若い。どの人も可愛いんです。埔里を4回目に訪れたとき、ある方が「私は埔里の街を代表して言いに来ました。家倉さんは本当にいい人です」とおっしゃった。きっと私の気持ちが分かってくれたんですね。台湾の方は外部の支配を繰り返されたDNAがあるので、最初は相手をじーっと見ている。島国の日本人と比べたら、彼らはずいぶん大人だと思います。

 

(シリーズ2に続く。全3話。今日から連続掲載。毎日18:00掲載予定)

台湾ドキュメンタリー映画「湾生回家(わんせいかいか)」監督:ホァン・ミンチェン が11月12日より東京・岩波ホールで日本公開。

トップ画像:家倉多恵子さん ©野嶋剛

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