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今後も起きうる北朝鮮による拉致

Japan In-depth / 2017年12月11日 10時56分

1946年7月31日、金日成は、「南朝鮮からインテリを連れてくることについて」と題した韓国人拉致指令を発した。背景には、北の恐怖政治から逃れ越南する人々が後を絶たなかった事情がある。相次ぐ粛正もあり、北は知識層を中心に人材が払底しつつあった。

上記指令において金日成は次のように述べている。「我々が新しい民主朝鮮建設で直面している最も大きな難関のひとつは大学教員、学者をはじめとするインテリが大変不足していることです。そのため産業運輸施設を復旧整備し、管理運営するにあたって支障をきたし、教育、科学、文学芸術を発展させるにも隘路を感じています。……わが国のインテリ不足は、悪徳な日帝植民地統治の結果です。朝鮮を強占した日本帝国主義者らは、わが人民を搾取、圧迫し、民族愚昧化政策を実施しました。……日本や満洲の大学で勉強した人もいますが、ほんの僅かであり、また方々に散らばっています。当面、インテリ不足を解決するには北朝鮮にいるインテリを探し出す一方、南朝鮮にいるインテリを連れてこなければなりません」(金日成全集第4巻)。

北朝鮮に不足があり、人材を外部から確保(拉致)せざるを得ないのは「日帝」のせい、という論理が明示されている。当然、「日帝」自身の地から必要な人間を拉致し、金品を窃取する行為は正当化される。

ともあれ、1950年6月に北の南侵で朝鮮戦争が始まると、上記のインテリ確保指令に加えて、一般的な労働力不足を補うため、50万人のソウル市民を北に連行する計画が立てられた(朝鮮軍事委員会第18号決定書)。実際、1953年の停戦までに約9万6000人が拉致されたと言われる。縄で数珠つなぎにされて歩かされ、水や食糧もほとんど与えられない中、力尽きて路上に遺棄ないし殺処分された例も多かったという。

▲ 写真)朝鮮戦争時、南部に非難する韓国民(1950年代) 出典) UN Defense Department

第2期は、朝鮮戦争の停戦から1970年代半ばに至る時期で、やはり金日成が首領の時代である。この頃の拉致は、韓国漁船の拿捕による船と乗組員の奪取が主で、被害漁民の数は約420人に上る。

第3期は、1974年に金正日が後継指名され、対南工作部門を掌握した1975年6月以降である。金正日は、1976年初めの対南工作部門幹部会議において、集中点検の結果従来の工作は成果がゼロだったと総括、「工作員が現地事情を知らないため、非合法から半合法に移るとき容易に身分が露呈する。敵区に派遣された指導的工作員が現地組織をやみくもに引っ張り回し、危険を招来し、破壊される事例も出た」などと批判した。

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