1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

逆境は改革のビッグチャンス 日本アイスホッケーの未来へ

Japan In-depth / 2019年2月12日 14時48分

▼1999年/平成11年


古河電工が廃部、HC日光アイスバックスが発足し、リーグ加盟。


▼2001年/平成13年


雪印が廃部、札幌ポラリスが発足するが1シーズンで日本リーグから姿を消した。


▼2003年/平成15年


アジアリーグ開幕。日本4チーム(王子製紙・コクド・日本製紙・日光アイスバックス)、韓国1チーム(ハルラウィニア)、日本製紙クレインズが初代王者。


▼2009年/平成21年


SEIBUプリンスラビッツが廃部。東北フリーブレイズがアジアリーグ参戦。



注目すべきは、大阪を拠点としていた福徳相互銀行が初期にはチームを持っていた事である。試合がテレビ放映されていた時代もある。





クラブチームとしての再生




企業が廃部としたチームを、クラブチームとして再生させた好例としては、古河電工を引き受けた日光アイスバックスがある。今シーズンで20年目を迎える。とは言え、ここに至るまではいばらの道で、スタート当初は選手への給料未払い、チームの弱体化等、問題が山積していた。地元の実業家の故・高橋健次氏が命に関わる大病を抱えながらチームの存続に奔走した姿は、テレビのドキュメンタリー番組として4回にも渡って放送され、当時、大きな反響も呼んだ。以下、日光アイスバックスのホームページから、同部の歴史。



▼1925年(大正14)


古河電工アイスホッケー部創部

▼1999年1月


同部活動停止決定


▼1999年5月


「古河電工アイスホッケーを愛する会」が日本アイスホッケー連盟へ4万人の署名提出


▼1999年8月


有限会社「栃木アイスホッケークラブ」発足


市民クラブとして再スタート


▼2000年11月


資金難から廃部決定


▼2001年1月


県、日光市、今市市が行政支援を決定


バックスの存続を求める署名は10万人に


▼2001年5月


有限会社 日光アイスバックスとちぎ設立


▼2006年8月


セルジオ越後がシニアディレクターに就任


▼2007年7月


株式会社 栃木ユナイテッドが営業権を譲り受ける


▼2009年


チーム表記を「H.C.TOCHIGI日光アイスバックス」と変更


▼2010年6月


吉本興業株式会社と業務提携


▼2011年7月


チーム表記を「H.C.栃木日光アイスバックス」と変更


▼2012年3月


アジアリーグにて過去最高の準優勝を記録


2014年5月


▼フィンランド1部リーグ所属タンペレイルベスと業務提携


NHL所属ニューヨークアイランダースと業務提携


▼2014年12月


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください