仏の難民 想像を絶する苦難

Japan In-depth / 2019年9月29日 23時0分

知り合いのフランス人の住む土地への移住は、家が破壊された時に決めた。しかし、夫はいろいろな準備があるため家族と一緒に出発することはできなかった。フランスでの再会を疑いもせず、ナジュアは荷物をまとめ、3人の子供たちを連れ、夜中12時に出発したのだ。


「シリアの兵士も、あのひげを生やしたISの兵士も、相手かまわず攻撃してくるからね。夜、あまり街に兵士が居ない時に家を出たの。」


すべてが順調に行き飛行場にも着き、無事、フランスに行けるだろうと思ったその時、出国審査で別室に連れて行かれた。


「なぜ、兵役ができる男性二人が、この場に居るのか?」


当時、二人の息子さんは26歳と30歳で、彼女の話では、この時期このぐらいの年齢の男性は、シリアではみんな戦時動員されていたという。だが、二人の子供たちは知的に障害を持っていたため兵役を免れていたのだ。相手はその話を信じようとしない。「このまま病院に連れて行って検査を受けなければ出国は認めない」と言うばかり。


そこでナジュアは、こぶしを振り上げ机を叩いて言った。


「そこの物を、息子たちに渡してごらんなさい!息子たちは、どう扱っていいか全然わからないと思うわよ。みてみなさいこの二人の様子よ。誰がどう見たって、障害者でしょ!」


すると、係員は、無言で様子を観察しはじめた。そして最終的には、「間違いなく障害者だ。」と言って出国を許してくれた。


当時は、シリアからの飛行機は、フランス直通の路線も無かったため、アレッポからエジプトに行き、そこからモロッコに乗り継ぎ、フランスに向かった。パリではなく、知り合いがいる地方だ。そして目的の地についた時に彼女がしたことは、「115」に電話をすることである。


「115」はSamu socialといい、福祉関係の相談ができるホットラインだ。ホームレスが宿を探す場合、また、家庭内暴力にもソーシャルワーカーが相談にのってくれる。


115に電話をかけたナジュアたちは、無事保護され、管轄のシェルターに留まることになる。が、しかし、フランスに着いたのは8月。通常ならそこですぐに難民を受け入れる施設に移れるところが、フランスはバカンス中であったため担当者もおらず、ソーシャル管轄のシェルターで1カ月過ごしたそうだ。


9月、ようやくCADAの住居に入れた。多くの場合、そこからCADAの職員の手を借り県庁(もしくは地域によっては警視庁)に申請するのだが、彼女ら家族の場合、ご主人がまだ到着していなかったため、到着するまでの7カ月、申請は先送りにされた。その待っている7カ月間は、CADAの支援でフランス語を習ったという。


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