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福島の教訓「想定外」二度と

Japan In-depth / 2020年1月13日 19時0分

一般の地域住民の避難でも、容易にこれだけの懸念点が生じる。妊婦や外国人、入院患者や在宅療養者といった災害弱者であれば、より綿密な検討が必要になるだろう。また、現段階の議論は避難計画までであり、その後の放射線被ばく以外の健康影響は検討されていない。Fukushimaの経験から学ばなければ、「想定外」を再び繰り返すことになる。実際の住民生活に基づく具体的かつ網羅的な対策が必要だ。


かつて鹿児島は、柔軟に海外の文化や技術を取り入れ、課題を解決していった。エジンバラ大学で医学を修め薩英戦争に従事したウィリアム・ウィリスから、高木兼寛ら薩摩藩医を師事し、鹿児島の医療の礎が築かれたのもその一例だ。英国領事館の要請で着任したウィリスは、内戦が続く幕末から明治初頭にかけて、旧幕府軍、新政府軍関係なく当時最先端の麻酔技術を駆使し、負傷兵の救命に努めた。



▲写真 ウィリアム・ウィリス医師(1865年頃)The English doctor Willis, in Japan, circa 1865 photograph. Source: "Saigo Takamori and Okubo Toshimichi". 出典:U.S. Public domain


ウィリスと鹿児島との繋がりは、鳥羽・伏見の戦いで、重傷を負った西郷隆盛の弟、西郷従道(後に海軍大臣、元帥)の治療に当たったことでより深まった。明治政府がドイツ医学を採択した後も、その手腕と人柄が評価され、西郷隆盛を通じ薩摩藩に招聘された。鹿児島医学校(後の鹿児島大学医学部)で診療と医学教育を始め、多くの優秀な医師を輩出した。


エジンバラ滞在中、友人の島津久崇氏(加治木島津家<島津義弘公直系> 精矛神社・禰宜)より鹿児島と縁の深いウィリスについて教えてもらい、彼の功績と故郷への貢献に想いを馳せた。同時に、一戦交えた相手であっても、相手の力量を認め敬う姿勢を持ち、教育に投資する文化が根強い薩摩藩の慧眼に感嘆し、誇りに思った。


だが、その慧眼は、川内原発の対応で混乱する現在の鹿児島にも息付いているのだろうか?今こそ身命を賭して海外で学び、故郷や日本の発展に貢献した偉大な先人たちの姿勢を学ぶときだ。歴史的繋がりがあるエジンバラ、そして世界から注目される福島の経験を、故郷・鹿児島に還元していきたい。


 


(*1)増田寛也(2014)『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』中央公論新社


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