「ランボー、鷗外、そして日本の未来」続:身捨つるほどの祖国はありや10
Japan In-depth / 2021年10月12日 19時0分
どんなつもりでこんな小説を書いたのか、といぶかしく思う。本当に、『舞姫』のモデルだった女性が22年経ったのち再び東京に現れたとも思えない。それでも、軍医総監であった鷗外は昔の恋人を思い返し、東京でもう一度逢い見ることができたとしたら、と一編の物語にする衝動を抑えきれなかったのに違いない。自分で自分を許せないと歯噛みする22年前の思いがよみがえったのだろう。
どうしてまたそんなことに?
おそらく、主家であった亀井家の伯爵夫妻が洋行するのを横浜の桟橋に送りに行ったのがきっかけだったと私は睨んでいる。その際のできごとを『普請中』と同じころに『桟橋』という短編に書いていて、そこには見送りの際にたまたま船のなかに見かけた女性、「白い巾(きれ)で飾った大きい帽の女」がいて、その手の白いハンカチイフが振られ、「桟橋の端に立っている、赤いチョッキを着て、天然色の靴を穿いた、背の高い男」として鷗外自身が登場する。22年前の彼、その手にも同じ白い物が閃いている。
このことについては、以前に書いたことがある。私の主宰する法律事務所の若い弁護士が夫妻でアメリカへ留学するに際して、私なりの感慨があったからである。私は「未来は若者に属する」と結んだ。その考えは今も少しも変わらない。(弊著『身捨つるほどの祖国はありや』299頁、幻冬舎 2020年)
ひとごとではない。誰でもが、「白い巾(きれ)で飾った大きい帽の女」の思い出を持ち、「赤いチョッキを着て、天然色の靴を穿いた」自分がいたことがあった、という確かな記憶が心のなかにあるものだ。
自分のしてきたこと、必死に実現したいと頑張ってきたことが、実は「上辺(うわべ)の徒(いたずら)ら事(ごと)」(『妄想』)に過ぎなかったと感じずにはいられない、俗物または有用の人としての頂点にいる男、鷗外、の心が書かせたのだろう。俗事に従事する人間が俗物である以上、俗物たる自分の人生に真実はなく、このまま酔生夢死という生涯を終えることになるのかという、諦めの気持ちがあったのではなかろうか。諦めても諦めなくても、生涯は終わる。だとすれば、あらかじめ諦めておいた方が死の間際に楽な気持ちでいられるだろう、ということである。
だが、その諦めは鷗外に新しい世界を開いた。
人は死ぬ、自分は人である、したがって自分は死ぬ、という三段論法は人の心に感動を呼ばない。感動のない人生は生きる甲斐がない。
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