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五輪イヤー侵攻はロシアの〝お家芸〟過去傍観の米は露の面子保つ解決策を

Japan In-depth / 2022年2月11日 11時0分

〝幻のモスクワ五輪〟をめぐっては、選手たちの間で、多くの悲劇的なドラマが生まれたが、詳細は別な機会に譲りたい。





■ 今に至る後遺症、アメリカの威信低下招く





ソ連は、この武力介入によって、ベトナム戦争でのアメリカ同様、泥沼にはまり込み、アフガンを自らの勢力下に置くという目的を達成することなく1989年に完全撤退した。





9年にわたる長期戦のソ連側の戦死者は1万4000人、アフガン側はその数倍にのぼるという見方もある。





ソ連撤退後もアフガニスタンには平和が訪れることはなかった。





ソ連と戦ったムジャヒディーンと呼ばれる兵士、武装勢力が群雄割拠し、そのなかからイスラム原理主義者のタリバンが権力を掌握、人権抑圧的な政策を続けた。





ムジャヒディーンに各国から参加した義勇兵はその数20万人、アメリカでの9・11同時テロを断行したアルカーイダの指導者、ウサマ・ビン・ラーディンも一員だった。





9・11の後、ビン・ラーディンを匿ったタリバンをアメリカが攻撃、一時は勝利を収め、新しい政府が作り上げられた。しかし、政権はいずれも安定を欠き、そのすきをついてタリバンが復活。その攻勢によって昨年、アメリカが屈辱的な撤退に追い込まれたのは記憶に新しい。





ソ連のアフガン侵攻の残滓は現在まで残ってるといっていい。





■ 前回の北京五輪はグルジア攻撃





比較的、最近の例では2008年、時あたかも北京夏季五輪と時期を合わせるように起きたグルジア(現ジョージア)の南オセチア紛争がある。





8月7日、ロシア領の北オセチア共和国への編入を求めるグルジア・南オセチアをめぐっての武力衝突が起きた。









▲写真 燃えている装甲車から逃げるグルジア兵士たち(2008年8月11日、ジョージア州ゴリ、トビリシ) 出典:Photo by Uriel Sinai/Getty Images





グルジアが先制攻撃したといわれるが、ロシアの過剰な攻撃は、以前から介入の準備をしていたことをうかがわせ、グルジアが挑発に乗ってしまったというのが真相のようだ。





EU(欧州連合)議長国のフランスの仲介で、8月中旬に停戦にこぎつけたが、ロシアは南オセチアに軍の駐留を続け、両国の関係は現在も緊張状態が続いている。





プーチン氏は連続3選を禁じた憲法に則って大統領をいったん退き、首相職にあった。メメドベージェフ大統領はプーチン氏の指名で〝ワンポイント〟として選出された経緯があり、プーチン氏が実質的なトップとしてこの問題でも指揮を執っていた。 





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