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五輪イヤー侵攻はロシアの〝お家芸〟過去傍観の米は露の面子保つ解決策を

Japan In-depth / 2022年2月11日 11時0分

メキシコでは、個人総合など4個の金メダルを獲得したが、ソ連の侵攻に抗議して東京での赤ではなく、青のレオタードで演技、優勝を逃した平均台での表彰式では、抗議の意味を込めて金メダルを獲得したソ連選手とは挨拶も交わさなかった。





引退後は私生活でのトラブルもあり、華々しい活躍ぶりとは裏腹につらい晩年を送った。2016年、74歳で寂しく亡くなった。









▲写真 メキシコオリンピックで跳馬演技をするベラ・チャフラフスカ選手(1968年10月25日) 出典:Getty Images Sport





■ 五輪に暗い影落としたハンガリー動乱





メルボルン夏季五輪(11月22日開幕)直前のハンガリー動乱も、自由化を求める市民の要求を戦車が蹂躙した冷酷な事件だ。





1956年の春から始まった社会主義労働者党の圧政に抵抗する市民らの抗議活動は、次第に激化。7月に保守・強硬派の労働者党書記長が登場したのを機に、10月には治安機関と対立、政府機関の占拠に発展した。





10月下旬と11月のはじめの2度にわたって、ソ連軍の戦車2500両、15万人の部隊が侵攻。11月10日までの間、労働者、学生、知識人らとの衝突が続き、2万人近い市民らが犠牲になったともいわれる。









▲写真 首都中心部を占拠するソビエト軍の戦車(1956年11月5日 ハンガリー・ブタペスト) 出典:Photo by Keystone/Getty Images





事件後、ソ連の後押しで登場した新政権は1200人を拘束、その死刑を執行した。





事件のさ中に、国民慰撫のために就任した改革派が支持する首相も、ユーゴ大使館に亡命したが、結局ソ連に捕らえられ2年後に処刑された。





事件は当然のことながら、五輪にも影を落とした。





水球のソ連対ハンガリーの試合では、両国選手が乱闘、取材した日本の特派員によると、「血潮が糸を引いて水の中から湧き上がってきた」という凄惨な状況だった。 





ちなみに、この年冬季五輪は1月から2月にかけてイタリアのコルチナ・ダンペッツオで開催。スキー男子回転に出場した猪谷千春選手が2位に入り、日本人として初めて冬季五輪でメダルを獲得した。日本にとっては記念すべき大会だった。





■ 米、平和共存優先させ介入避ける





これら一連の過去の旧ソ連、ロシアによる侵攻を振り返ってみると、いくつかの疑問が浮かびあがってくる。





最大のナゾは、今回のウクライナ問題でロシアをしきりにけん制しているアメリカがなぜ、過去には介入しなかったのかーということだ。





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