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安倍元総理の死と石原慎太郎の死 続:身捨つるほどの祖国はありや 20

Japan In-depth / 2022年7月13日 7時0分

安倍元総理の死と石原慎太郎の死 続:身捨つるほどの祖国はありや 20


牛島信(弁護士・小説家・元検事)





 


【まとめ】


・信念を貫く政治家は、自らに突然の死が降りかかる事態があり得ると分かっている。安倍元総理にも同じ覚悟があったろう。


・「死に甲斐」を求めた石原慎太郎は、もし生前に安倍元総理横死の報に接していたら、三島由紀夫を思い出しただろう。


・石原さんの真価を日本人が知るのはまだ先か。歴史が安倍元総理の次に記憶するのは、石原さんか、三島か。


 


安倍晋三元総理が殺された。突然の死。政治家を暴力的に殺す。テロ。


 


私はシーザーを思い出した。最も理想的な死は突然の、思いもかけない死であると言っていたシーザーを。ジュリアス・シーザーは政治家である。決して突然の死を望んでいたのではない。ただ、自分の使命、天命を果たすべく動いている身には、突然の死が降りかかることはあり得ると分かっていたのだ。


 


自らの決意が固かったがゆえに、どんな目に遭うとしても、それを貫くのだという信念があったということである。したがって、理想に燃える政治家は、わが身に突然の死が降りかかる事態があり得ることをあらかじめ受け入れ、そのうえで行動しているということになる。理想に殉じる覚悟がなければ、政治家として権力をふるうことはできないという冷静な認識である。権力とは合意の無い場合でも自分の考えを貫く作用である。


 


そうした政治家への暴力行為の理非曲直などは、はなから明らかなことである。悪い。しかし、人の世には、警察の裏をかいて身勝手なことをするやからが少なからずいることは言うまでもない。


 


織田信長は、自らの突然の死について、是非もないと言ったと伝えられている。彼には、覚悟があったのである。そのうえでの、左右を顧みない断固たる言動があったのである。


 


安倍晋三元総理にも同じ覚悟があったろうと、私は思う。それでも、自分がしなければこの国は救われない。政治家の、権力を握り、信念を押し通すことへの覚悟である。使命、天命に従うことを知る者のみが有する心構えである。自分に反対する者はいるに違いない。なかには暴力に訴える愚か者もいるかもしれない。だが、決してひるまない。なぜなら、自分がひるんだら国が亡びると信じているからである。


 


もちろん警備は万全でなければならない。しかし、ケネディは殺害された。大統領だったからである。濱口雄幸は殺された。総理大臣だったからである。


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