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安倍元総理の死と石原慎太郎の死 続:身捨つるほどの祖国はありや 20

Japan In-depth / 2022年7月13日 7時0分

その石原さんが、89歳で、膵臓癌で逝った。事前の告知を受け、ある限りの治療を試み、そのあげくの死だった。


石原慎太郎のお別れの会は、つい先月、6月9日にあったばかりである。安倍元総理も参列した。


 


もし石原さんが安倍元総理の死を知ったら、どう感じただろうか。


石原さんは、テロが、法的な是非の次元を超えて、歴史のうえではときとしてあり得ることを理解していた。


再度言う、安倍元総理の死はテロの結果ですらない。


しかし、政治家としての戦死である。


石原さんは、悲しみの後、身も世もなく嫉妬したのではないかと思われてならない。


石原さんはゆえあって政治に志し、36歳で選挙に出た。300万票を超える素晴らしい初陣だった。


衆議院に鞍替えした直後、都知事選挙に出て、敗れた。その後、衆議院議員として再スタートした。


その衆議院議員生活25年の表彰を受けた、その場の演説で辞職を宣言した。日本は宦官のような国になっていると述べて、だ。石原さんの25年間の衆議院議員生活は、結局無駄だったということである。


それは、石原さんなりのやり方で政界、永田町に処し、いかに努力しても容れられなかったという事実があったということである。


 


安倍晋三元総理は、それを軽々と飛び越えて総理大臣となった。そのうえ、体調で政権を投げ出すことになってしまっても、また返り咲いた。


そういう安倍元総理の公的生涯と突然の終焉に対して、石原さんは、同じ政治の世界、総理大臣の地位を目指した者として、身も世も無く嫉妬したにちがいないと思うのである。


どうして自分ではないのか、と。


 


安倍晋三元総理の横死の報にもし石原さんが接していたら、石原さんはきっと三島由紀夫のことを思い出していたろうと感ずる。なぜならば、衆議院議員を辞任する直前、石原さんは心のなかで三島由紀夫にこう話しかけていたのではないかと想像するからである。


「三島さん、あなたは正しかった。この俺は、議員になって、なにか想像を絶するほど素晴らしいことを、この世で、この日本で実現できるという野心を持っていた。


でも、違った。どうして人々があれほど愚かなのか、私にはわからない。


三島さん、あなたはそれが分かっていたんですね。だから、あんなことをしでかした挙句、自分で腹を切って死んだんですね。」



写真)演説する三島由紀夫(1970年11月25日 自衛隊市ヶ谷駐屯地)


出典)Getty Images


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