国葬は閑散、国民葬は長蛇の列(下)国葬の現在・過去・未来 その4
Japan In-depth / 2022年9月22日 7時0分
例によって余談にわたるが、2003年に「はなわ」というお笑い芸人さんが『佐賀県』という歌をヒットさせた。
「どこまで行っても水田ばかり まるで弥生時代」
という歌詞を聴いて、維新後の100年あまり、佐賀県民はなにをしていたのだろうかと、妙な感想を抱いたのを覚えている。ギャグであることはもちろん承知の上でだが。
話を戻して、幕末の動乱の中で、若き日の大隈重信も尊皇攘夷をとなえる志士となる。しかし20歳の時、藩命で長崎に派遣され、フルベッキというオランダの宣教師と出会い、英語や西洋の近代思想を学んだことから開国論者に転向した。伊藤博文の留学体験とよく似ているが、大隈は佐賀に対して英語学校を創立するよう働きかけ実現させた。
江戸時代には西洋文化と言えば蘭学すなわちオランダの文献を通じて学ぶものであったが、いち早く英語に着目した大隈には、確かに先見の明があったと言えるだろう。
ちなみに当時の彼は、まだ20代前半だった。長州の高杉晋作は、24年に満たない生涯の中で、封建社会の身分意識を覆し、身分を問わず参加できる「奇兵隊」を旗揚げして、幕府の軍勢を壊走させる偉業をなした。
世の中が大きく変化する時期には、このように若い才能が台頭するのだろう。
夭折した高杉らと違い、大隈は明治政府の中で栄達したが、新政府の政体をめぐって伊藤博文らと対立し、最終的には数名の官僚と共に職を辞することとなる。前にも触れた「明治14年の政変」だが、両者の対立点のみおさらいしておくと、ドイツ(=プロイセン)式の強力な中央集権制と、天皇中心主義を具現化した憲法の制定を目指した伊藤に対し、大隈らは英国式の政党政治=立憲君主制を目指すべきだと主張したのだ。
その後、これもすでに述べたように、立憲改進党を旗揚げして政界への影響力を取り戻す一方、教育者としても名をなすこととなった。
政変の翌年すなわち1882(明治15)には東京専門学校を設立。本誌の読者には今更ながらの説明であろうが、この学校が1902(明治35)年、早稲田大学と改称する。
この改称自体は、学制の変換によって大学として認可されたことにともなうものだが、日英同盟が締結された年であることには、なにやら因縁めいたものを感じる。
と言うのは、1877(明治10)年に設立された東京帝国大学が、ドイツ法の研究に主眼を置いていたのに対し、早稲田大学の方は、東京専門学校時代から英国式の政治経済を教えることを旨としていた。現在に至るも、東大はじめ大半の大学において、法学部が文科系の最優秀・最難関として、看板学部と称されるのに対し、早稲田大学では政治経済学部が看板学部と呼ばれている。
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