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円楽死すとも落語は死せず(上)娯楽と不謹慎の線引きとは その1

Japan In-depth / 2022年10月20日 18時0分

「コンプライアンス、ってなんですか?」


と突っ込むと、涼しい顔で、


「おいしいケーキ」


全部持っていったな、と思ったら、司会の昇太師匠が、


「覚えたばかりの言葉すぐに使うの、やめてもらっていいですか」


と笑いながら見事に回収。


これが、この番組の底力だと、しみじみ感じ入った。


 


 引き合いに出して申し訳ないが、林家三平師匠が


「先輩方とのスキルの差を感じることばかりだった」


とこぼした気持ちも、よく分かる。彼が降板の沙汰となったおかげで、円楽師匠の後継者選びにも暗い陰を落としてしていると聞くが、その話はまた後で。


 


 落語の起源については諸説あるのだが、江戸時代に生まれたとする説が最も有力である。


 


 ただ、他ならぬ落語会では、もっと古い歴史があって、お説教(本来の意味は、仏教の教えを説くことである)の中に笑いの要素を取り入れようと工夫したのが始まりだと考える人が多いようだ。


 


 実際に私は本職の師匠から、


「あなたはお坊さんですか?」「そう(僧)です」


というのが本邦初の落語なのだと聞かされたこともある。


 


 ただ、これはどうも都市伝説の匂いが漂う話で、色々と読んでみると、やはり江戸起源説の方が、より説得力があるように思う。


 


 江戸時代の初期から中期、天下太平の世の中となって、庶民の生活水準も上がって行き、教養や娯楽に対する関心も高まることとなった。


 


 寺子屋で『論語』などの漢籍を学ぶことが一般教養とされたのに対し、中国の笑い話を翻訳し語って聞かせる芸が歓迎されたのである。


 


 当初は、大仰な舞台装置もいらず、一人で演じられることから、色々な人が演じていたが、やがてそうした「落とし話」を専業とする、つまり落語家が登場し、三遊派、柳派といった流派も生まれてきた。私はもっぱら「噺家」と書くが、これは個人的な嗜好に過ぎず、どちらでもよいのだ。


 


 「落とし話」という言葉を用いたが、これは話の最後にダジャレや思いもかけない結末で笑いを取ることを「オチをつける」「落とす」と表現したところから来ている。落語という呼び方が定着したのは明治時代以降であるらしい。


 


 流派という表現にせよ、もともと人情噺を得意とする三遊派に対して滑稽噺を得意とする柳派という色分けがなされていて、まさしく流儀の違いがあったわけだ。今では、こうした色分けは意味をなさなくなったが。


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