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ザ・ドリフターズの功罪(下)娯楽と不謹慎の線引きとは その5

Japan In-depth / 2022年10月30日 18時0分

ザ・ドリフターズの功罪(下)娯楽と不謹慎の線引きとは その5




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・ドリフの番組は、主婦連などの意識調査で「子供に見せたくない番組」のワーストワンに名指しされ、TV局には放送中止を求める投書殺到。





・どこまでが娯楽で、この一線を超えたら不謹慎、という基準は、あってないようなものだが、時代が変われば判断基準も変わる。





・お笑い(番組)を取り巻く環境とか、世相の変化について、つい考えさせられてしまう。





 




2021年暮れにフジテレビ系列で放送された『志村けんとドリフの大爆笑物語』というドラマが秀逸だった。


本連載でも取り上げたが、この前年、2020年3月29日に彼は新型コロナで他界している。享年70。


ドラマでは山田裕貴が演じた。他に加藤茶を勝地涼、いかりや長介を遠藤憲一、仲本工事を松本岳、高木ブーを加地将樹、荒井注は金田明夫というキャスティング。


皆ドリフを見て育った世代であるだけに、演じるのが楽しくて仕方ない、という雰囲気が見る方にもよく伝わってきた。リーダーのいかりや長介を水責め(お湯責め?)にする銭湯コント、時代劇でおなじみの、新撰組による池田屋襲撃事件をネタにした「階段落ち」コントの再現度の高いことと言ったら……ドリフを愛した人たちでなければ作れないドラマだと感じ入った次第である。


志村けん(本名・志村康徳)は1950年、東京都北多摩郡東村山町(現・東村山市)生まれ。ドリフでは唯一の戦後生まれであった。つくづく時代を感じる。


父親は教員で、兄弟も大学を出て公務員になったが、彼だけはコメディアンになる夢を抱いて、高校卒業直前、いかりや長介の自宅まで押しかけて弟子入りを志願。いかりやが熱意にほだされ、ボーヤとして採用されるところから、ドラマが始まる。採用を知らせる電話をもらい、


「では、高校を出たらすぐに」「馬鹿野郎、明日から青森へ行くんだよ」


というやりとりがドラマにあったが、これも実話なのだとか。


ボーヤの語源などについては前回述べたが、話の順序として、もう少し説明を加えねばならない。


現在、多くの芸能プロダクションが「養成所」を設けており、芸人、俳優、ミュージシャン、アイドルいずれも、オーディションに合格した後、養成所を経てデビューという道をたどった者が多いのだが、昭和の時代は、徒弟制度のように雑用と見習いを経て一本立ち、というケースがほとんどであった。


所ジョージは宇崎竜童率いるダウンタウン・ブギウギバンドのボーヤだったし、横山剣はクールスのボーヤからリードヴォーカルに抜擢されたというキャリアを持つ。ビートたけしや松平健もボーヤの経験があると述べれば、大筋のところはご賢察いただけよう。


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