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ザ・ドリフターズの功罪(下)娯楽と不謹慎の線引きとは その5

Japan In-depth / 2022年10月30日 18時0分

話を戻して、ドリフのボーヤとなった当時、志村けんの父上は認知症を患っており、その世話を母一人に押しつけて芸能界入りしてよいものか、葛藤もあった。しかしその母は、


「そんな心配しないで、頑張ってやりなさい」


と言いつつ、旅費らしき現金の入った封筒を渡し、家を送り出してくれたのである。ドラマでは宮崎美子が演じた。


その後、これも前回述べたように、荒井注と交代する形で正規メンバーとなるのだが、その際に父親の名前から一時もらって「けん」という芸名にしたという。


メンバー入りした当初、志村けんの評判は散々だったが、次第に頭角を現し、ドリフになくてはならない存在となる。


ドリフは今思い出しても、各メンバーの個性が際立っており、そこが面白かった。


加藤茶と志村けんが主にコントを回していたが(ネタの多くは志村のアイデアらしい)、仲本工事は理屈っぽいインテリキャラで、一方、抜群の身体能力を見せていた。


実際に彼は、都立では屈指の受験名門校だった青山高校出身で、成績は常にベスト10圏内、かつ都大会で準優勝の経験もある体操選手でもあった。新聞記者志望で学習院大学政治経済学部に進んだが、大学に体操部がなかったため、もうひとつの趣味であった音楽にのめり込んだという。


コント作り=放送作家やスタッフとの打ち合わせの席でも、いかりや長介らはピリピリしていたが、彼はいつも飄々として、言われたことはなんでもやりますよ、という姿勢を貫いていた。そのキャラクターと身体能力とは、今考えてもドリフに欠かせないものだ。


高木ブーは肥満のせいで体内の酸素が不足し、突発的に睡魔に襲われて動けなくなるという持病を抱えていたのだが、ドリフではそれを逆手にとって、動けない、しゃべれない「無能キャラ」を演じた。しかし、楽器の演奏をさせればピカイチで、後にはウクレレ奏者としてアルバムまで出している。旧メンバーの荒井注は「ヤクザのオッサンキャラ」であった。


そんな彼らが、前述のように練りに練ったコントを披露するのだから、受けないわけがない……と言いたいところだが、当然ながら視聴者には子供から大人までいるわけで、子供たちと親たちとの間で、かなりの温度差があった。


これも前回述べたことだが、主婦連などの意識調査で「子供に見せたくない番組」のワーストワンに幾度も名指しされ、TV局には放送中止を求める投書が殺到したという。暴力的であるとか、食べ物を粗末にするな、といった理由が大半を占めていたと聞く。


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