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ザ・ドリフターズの功罪(下)娯楽と不謹慎の線引きとは その5

Japan In-depth / 2022年10月30日 18時0分

前述のドラマの中でも、そうしたシーンが出るが、いかりや長介は、抗議の投書が200通届いた、という報告を受けても、毎週見てくれている人は何千万人だろう、として、


「下品上等。徹底的にやるぞ」


と言い放つ。そもそも抗議してくるということは、見ているということではないか、と。


局側にせよ、視聴率競争がもっとも厳しい土曜午後8時を制した番組だけに、放送休止を求められても応じるわけには行かなかっただろう。


とは言え、栄枯盛衰は世の常で、1981年春、フジテレビ系列で『オレたちひょうきん族』が始まると、次第に押され気味となり、1985年以降は後塵を拝するようになってしまった。


メンバーの高齢化も追い打ちをかけ、ついに1985年、放送打ち切りが決まる。TBSは


「ナンセンスギャグをやり尽くした」


と発表したが、要は、新たなコントを考え出し、自ら演じる力が残っていなかった、ということであろう。その後は『加トちゃんケンちゃん』のシリーズが1992年まで続く。


とどのつまり、主婦連などがいくら放送中止を訴えても功を奏することはなかったが、と言って、彼らのコントになんの問題もなかったのかと言われると、それも少し違う気がする。


以下、私見であることを明記しておくが、よい子は真似しちゃいけません、といいたくなるようなネタはしばしば見られた。


たとえばセクハラ。この連載でも以前に取り上げたことがあるが、女子プロレスと対決する、というコントで、ドリフの面々は女性のお尻に「カンチョー」したり、刷毛でくすぐったりと、やりたい放題。


大笑いしながら見つつも、今だったら放送できないだろうな、などと思った。


ただしこれには別の側面もあって、相手は女性とは言えプロレスラーなので、


「ガチンコでは到底勝ち目がないから卑怯な手を使う」


というギャグとして成立していたのである。非力な女性アイドルに同じ事をしたら、もはや犯罪的と言うべき案件だろう。これは端的な一例で、ドリフに憧れてお笑いの道に進んだ者の中には、お笑いで知名度を上げればアイドルにセクハラしても許される、といった考えに染まった者が多いのではないだろうか。志村けん自身も生前、


「お笑いとはああいうものだと思い込んでいた」


としつつ、ドリフから『バカ殿シリーズ』などで披露したいくつかのネタは、今だったらセクハラ・パワハラにもなりかねないことを認める発言をしている。


実際に数年前、AKBの人気メンバーの顔を蹴って、ファンから殺害予告を受けた芸人がいた。殺害予告はもちろん許されることではないが、女の子の顔を蹴って笑いが取れると思い込む感性も、相当問題だろう。要は、お笑いの腕ではドリフの足下にも及ばない者が、妙な具合に真似をするからいけないのだ。


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