「石原さんとの私的思い出8」続:身捨つるほどの祖国はありや24
Japan In-depth / 2022年11月15日 8時45分
その月の2日の13時54分に、ファックスで店の所在場所のご案内をいただいた。
中央区銀座6-4-12と住所に電話番号まで入ったファックスだったが、どういうわけか、カフェ25とかリムとかレストラン高松といった名が手書きでファックスで送られてきた簡単な地図に書き加えられていた。肝心の菊川は活字だったから、あれは店で作った道順の案内ででもあったのだろうか。
そうかもしれないと私が思うのは、とにかく、私の運転手さんが、ここなんですが、と自信なげになってしまうような、狭い路地の奥にある、古いたたずまいの、凛とした素敵な構えの和食の店だった。
3人のうちで私が最後に到着したので、お待たせしたことをお詫びしたような気がする。あのころも、今と同じように、私は弁護士として忙しかったのだろう。確か、巨大な金融機関の不祥事で時間がかかってしまって、6時半のお約束の時刻に間に合わなかったのだった。しかし、お二人ともそんなことは少しも気にもされず、石原さんが「まあ座りたまえ」と言ってくださった。
畳敷きで、さいきん流行りの掘り炬燵式ではなく、テーブルが置かれてもいなかった。それぞれの席の前に小さな膳が置かれていた。
当然ながら石原さんは昔からの馴染みのようで、中年の女将とのやりとりをよこから聞きながら、私はふっと『太陽の季節』の一節を思い出していた。
『太陽の季節』の冒頭に
「竜哉が英子に強く魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持ちと同じようなものがあった。」とある。(『太陽の季節』新潮文庫 8頁)
拳闘、という言葉も懐かしい。
その主人公の津川竜哉が拳闘の合宿に新潟へ行き、しばらくして東京へ戻ってきた日のこと、恋人の英子は上野駅まで竜哉を迎えに行く。そう、あのころからつい最近まで、新潟から東京への汽車は、東京駅ではなく上野駅に着いたのだった。
ゆっくり話がしたいという英子に竜哉は、「いや、何処かで飯を食おう」と答える。
「父がよく使う料亭を彼は教えた。久しぶりの東京の雑踏が懐かしくさえあった。」
「通された部屋で、脇息にもたれながら竜哉は訊ねた。『なにか変わったことあった。兄貴どうしている』」とたずねる場面が続くのだ。(同書70頁)
その、父がよく使うという料亭は、ひょっとしたらこんなところだったのかもしれないな、と私は「菊川」なる店に石原さんにご招待いただいて、理由もなく考えついたのだ。きっと脇息が脇に置かれていたのだろう。
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