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「石原さんとの私的思い出8」続:身捨つるほどの祖国はありや24

Japan In-depth / 2022年11月15日 8時45分

石原さんという人は、決して自分を相手に押しつける人ではない。それどころか、自分の知らないことについて他人にものをたずねるときには、それこそ謙虚そのもののような態度の方だった。だから、私は都知事になった石原さんが都の財政改革のために会計制度の抜本的な変更をしようと、当時日本公認会計士協会の会長だった中地宏氏に相談した、と書かれているのを読むと、その時、その場での石原さんの様子が容易に、生き生きと想像できるのだ。(『東京革命 わが都政の回顧録』幻冬舎2015年 134頁) 


ふーん、どうしたら主人公の男がゴルフ場を自分のものにできるかなあ、という質問を受けて、私が、それは間接にしたらいい、つまり間に会社を入れるのが良いというアイデアをだしたりもした。石原さんの物語には、女性、それも昔からこう焦がれていた女性が出てくる設定だったのだ。現金は、その女性にかかわる。


 


最後に「火の島」ができあがったとき、私は、ああ、石原さんは会社の仕組みではなく、そうした舞台のうえで絡み合う男と女の物語を心のなかにしっかりとつかんでいて、そこにしか興味はなく、私に次々と質問をなげかけた源も、その男の主人公と女性との関係にあるんだなと思い当たった。


石原さんに、いろいろご協力して知恵を出すのはいいのですが、私が手伝ったということはどこにも出ませんよね、と確認したことがある。初め石原さんは、私が私が手伝った証しをどこかに入れて欲しいと言いだしたのかと誤解されたようで、それはできないなあ、と困ったようにいわれた。私が、いや、そうではなく、私がお話ししているのと似た事件を実際にあつかっているので、それが少しでも私が関与したものとして外へでることは弁護士なので避けたいだけなのですと答えた。石原さんは安心してくれた。 


最後には、ゲラを見せてもらった方が早いですよ、とまで申し上げたこともある。


とても失礼なことだったのだろう。


私が、いちいちお話しているよりも、いっそゲラを見せていただいた方が早いですよ、と申し上げたときには、少し躊躇された気配が電話の向こうにあった。


私がそう言わずにおれなかったのは、石原さんが、会社制度や親子会社などについて、なかなか理解してくださらなかったからだ。税法もからんでいたのだから、石原さんなりに苦労されていたのだろう。


その進言にしたがって、石原さんから送られてきたゲラが、今も私の手元にある。本になった『火の島』と比べたことはないが、比較してみれば、私が石原さんの傑作に多少とも貢献したことがわかるかもしれない。


そういえば、『火の島』の連載が『文学界』に載っていたときには、愉しみにして毎号を買い求めていたものだった。


できあがった本は、送ってくださった。今も私の書架にある。


『火の島』は、もちろん読んでいる。あるいは、私の進言は結局取り入れていただけるところにならず、別に電話でお話しして、こうしましょう、ということになったような気もしている。


たぶんそうだったのかもしれない。


私が、石原さんという人は本質的に詩人なんだな、と確信したのが、この小説を巡っての一連のやりとりの時だったような記憶だからだ。


(つづく)


トップ写真:オリンピックの入札後、記者団の質問に答える石原慎太郎都知事(当時) 2009年6月17日 スイス・ローザンヌ


出典:Photo by Ian Walton/Getty Images


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