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「石原さんとの私的思い出8」続:身捨つるほどの祖国はありや24

Japan In-depth / 2022年11月15日 8時45分

主人公の竜哉は高校生である。あるいは石原裕次郎の経験を書いたのかもしれない。裕次郎の友人かもしれない。


中学生のときに『太陽の季節』を読んで、妙に印象に残った場面だった。 


石原さんに「まあ座り給え」と優しく言っていただいた私が、遅参を畳の上に両手をついてお詫びし、石原さんが坂本さんを紹介してくださって、食事が始まった。もちろん、私は坂本さんが有名な編集者だと知っていたが、お会いするのは初めてのことだった。


その後、坂本さんは私の執筆の進み具合を心配して手紙をくださったりした。


坂本さんも亡くなられてしまった。それも、石原さんの亡くなられる直前のことだった。私はまことに不義理を重ねたことになる。


「いいものを書いたね」


そう石原さんに微笑んでいただけなかった私の人生とは、いったい、なにだったのだろうか。いまにして思う。 


当時は私もアルコールをたしなんでいたが、75歳の石原さんは17歳年下の私など及びもつかないペースで、白ワインのボトルを脇に置いて次々と口に運んでいた。


ところが、しばらくすると石原さんは三分の一ほど減ったボトルを左手で持ち上げ、両手に持つと顔を近づけてラベルを読み、


「なんだ、女将、こんな程度のしかないのか。もっといいの持って来いよ。グランクリュがあるだろう」


と、奥に呼びかけた。せっかく飲む酒なのだ、少しでも美味しいものが味わいたい、という調子が率直に現れていた。私は、ああ、石原さんらしいなあ、まるで青年のままの石原さんがワインを愉しみたいんだ、と駄々をこねているような雰囲気がそこにはあった。


そういえば、石原さんはラべルを読むのに老眼鏡をかける必要がないようだった。


いつからだったか、石原さんがメガネをかけてテレビなどに出てきたときに、私は不思議な感じがしたのをおぼえている。え、石原慎太郎がメガネ、と取り合わせが奇妙な思いがしたのだ。ずいぶん以前のことなのだろう。 


あわてて女将がグランクリュを持ってきた。たぶん、ブルゴーニュの白だったのだろう。私は石原さんの三分の一も飲んでいなかったし、坂本さんはもっと少なかった。


石原さんが、運ばれてきたグランクリュの新しいボトルをいとおしそうに眺め、女将に開栓させて新しいグラスに注がせ、それを目の高さに持ち上げてちらっと眺めてからグラスにゆっくりと口をつけ、しばらく口のなかにふくんでからすこしずつ喉を通過させている姿が私の目の前にあった。格好が良かった。


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