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平成11年の年賀状②「日の要求と青い鳥」

Japan In-depth / 2023年4月14日 23時0分

平成11年の年賀状②「日の要求と青い鳥」


牛島信(弁護士・小説家・元検事)





【まとめ】


・「日の要求」を果たしつつ、「青い鳥」を探しているのは鷗外にならってのこと。


・鷗外には、ドイツから来た女性のことを聞いてみたい。


・たぶん、「それからの私の半身は生ける屍、抜け殻だった」と言う答えがかえってくるのではないか。


 



 年頭にあたり皆々様のご健勝をお祈り申し上げます。


 昨年のご報告を一、二、申し上げます。


 春。琵琶湖の西岸へ行き、米原から昔の東海道線に乗りました。窓の外を眺めていると、風の向くまま旅に出ているような、束の間の寅さん気分です。


 夏。学生の法律相談に少し付き合って、琵琶湖の南端に行きました。琵琶湖大橋を車で往復しつつ、春の大津の高楼上で食べた湯葉のことを思い出していました。あれほど美味しい湯葉は初めてだったのです。


 秋。四年生の終わりまでいた東京の小学校の同窓会がありました。何年か前に乗ったタクシーの運転手さんがたまたま同級生で、転校生の私にまでわざわざ連絡してくれたのです。おかげで三九年振りにまりちゃんと滋子ちゃんに挟まれて間に立っていました。


 冬。深夜、仕事の合間をぬって事務所で年賀状を書いています。


 通年。この一年も慌ただしく過ぎてゆきました。「日の要求」を果たしつつ、その傍ら相変わらず「青い鳥」を夢見てもいます。今年は五〇歳になります。


 何卆本年も宜しくお導き下さいますようお願い申し上げます。


 










「日の要求」を果たしつつ、「青い鳥」を探しているのは、鷗外にならってのことである。『妄想』に出てくる。もう何回読んだことか。1911年の作だから鷗外49歳の作である。陸軍省医務局長にして軍医総監。軍医のトップの地位にあったときに以下のように書いているのである。


「日の要求に応じて能事るとするには足ることを知らなくてはならない。足ることを知るということが、自分には出来ない。自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のいない筈のところに自分がいるようである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることができないのである。道に迷っているのである。夢を見ているのである。夢を見ていて、青い鳥を夢のなかに尋ねているのである。」


これが49歳の軍医総監の心のなかなのである。


「なぜだと問うたところで、それに答えることは出来ない。これは只単純なる事実である。自分の意識の上の事実である。」


私は49歳のときの年賀状に、49歳の鷗外の言葉の断片を引用したのである。


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