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中国料理の海外普及と文化遺産化

Japan In-depth / 2023年6月14日 7時0分

ではいかにして中国料理が発展していったのか。岩間氏によれば、「中国における食材や調理法の記述は、紀元前1100年〜1600年頃の詩を集めたとされる『詩経』まで遡ることができる。歴代王朝の皇帝や官僚らが中国料理を発展させた。


特に清朝の乾隆帝は大の美食家で、後の西太后の時代にグルメの頂点を極めた。現在の中国料理の原型はこの時期までに完成していた」。岩間氏が指摘したように、中央集権国家ができると中国の国民料理は整備される。国民国家によって料理が体系化されて初めて、一つの国民料理(National Cuisine)が生まれるのである。


さらに、岩間氏は中国料理の発展に貢献した行事の一つは、国を挙げて宴会を開きおもてなしをする「国家宴会」だという。「料理とパンダが中国のソフトパワーだと言われるほど中国料理の外交への貢献は大きい」。


宴会料理のメニューについて、フカヒレは大事な宴会には出してはいけない食べ物だそうだ。コックの一番の腕の見せ所がフカヒレの調理だが、段々と重要視されなくなっていた。その理由として、環境破壊や動物愛護の観点から西洋を中心に問題視されていることがあげられる。サメのひれだけ取って他の胴体全部捨ててると思われていたのだ。しかし、実際、皮は財布やバッグ、身はかまぼこなどほぼ全ての部分を使っていたという。


周恩来首相は巧みに中国料理を外交に活かした。1972年にニクソンが訪中した際に、米中が国交正常化したが、この頃から既に「四菜一湯」の基準があり、周恩来がニクソン大統領にしたおもてなしは「北京ダック外交」と言われた。



写真)人民大会堂にて会食するヘンリー・キッシンジャー米国務長官と周恩来首相(当時) 中国・北京 1973年11月 出典)Bettmann /GettyImages


ニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーが「北京ダックを提供してくれたらどんな書類だってサインする」と言うほど北京ダックの魅力は凄まじく、中国外交史において功を奏したと言える。統計によると、周恩来氏は北京の全聚徳烤鴨店に27回も外賓を招いて北京ダックを試食すると同時に視察の仕事を行った。


周恩来がこれほどまで全聚徳烤鴨に愛着を持った理由は、北京ダックそのもののおいしさのほかに、全聚徳という言葉に“全而无缺、聚而不散、仁德至上”という意味が込められているからだ。この12文字はまさに周恩来のもてなしの道と平和への美しい願いを現している。


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